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どこに『絆』があるの? [3.11が残したもの]
とある勉強会に出席しました。フクシマ原発による放射能汚染に関する勉強会です。
そんな勉強会なんて、オラの性格には相応しくないことなんだけど、あえて出席してみました。「あえて」と書いたのは、勉強会の結論がどういうものになるかおおよそ見当がついていたからです。
今や、震災がれきの受け入れに関しては、多くの自治体が反対しております。もう、科学的な根拠も待たずに、がれきと聞いただけでヒステリックな拒絶反応を示します。受け入れを考えている首長や個人を、まるで魔物扱いに攻撃します。
3.11以後、「助け合い」や「絆」などという言葉を、日本人の義務だと言わんばかりに連呼していたはずなのに、一年も過ぎた今ではどうなってしまったのでしょう。
(左写真は、3.11地震による土蔵の崩落=田舎っぺ村にあるオラホの家)
確かに放射能を含んだがれきを全国にバラまくことは、許されてはなりません。ただ、がれきと言ってもさまざまなものがあります。海を漂流しただけのもの、または山から崩れ落ちてきたもの、または被災した人たちの体温が残っているような彼らの家屋の端切れ、その他いろいろ。
それを一緒くたにして、何もかも反対。もう聞く耳を持ちません。
一度被災地を訪ねて、自分の目で確かめてみたらどうでしょうか? がれきの山積みで、どこに復興の余地があるのでしょうか。いち早く、がれきを処理してあげなければなりません。
人体に影響がないものならば、全国で手分けして処理してあげればいいものを、震災直後の『苦しみを分かち合う心』とか『絆』は、いったいどこに消え失せたのでしょうか? 『被災地に協力したい』なんて言っていたことは、嘘だったのでしょうか? 放射能に過剰反応するくらいだったら、なぜ今までに原発に対して明確な反対意見を唱えてこなかったのでしょうか? これまでに原発の恩恵を充分に受け入れてきたくせに、いざトラブルが起きたとたん、自分だけの幸せを守ることしか考えません。
かつてフクシマから避難してきた人たちや児童が受けたイジメや差別は、日本人として耳を疑いたくなるようなことばかりでした。そして今では被災地の人たちを「フクシマ土人」とか「東北土人」などと呼ぶ人さえ出てきている始末です。
今の日本人は、ほんとうに日本人なの? 冷たいものですね。自分たちだけの幸せを守ろうとしています。被災地の人たちが犠牲になろうと、そんなことはお構いなし。困難な生活を強いられた彼らを踏み台にして、自分たちだけの幸せを築こうとしています。
犠牲の上に成り立つ「幸せ」なんて、ありえないのです。
勉強会には、北九州から来られた女性がいました。
彼女の言うことには、北九州市議会ががれき受け入れを表明したことで、自分たち家族の幸せが壊されようとしている。新築した家を売り払って、他所の土地へ引っ越そうと考えている、とのこと。
こんなことをフクシマの人たちが聞いたなら、どんなに悲しむことでしょう。毎日降り続ける放射能の恐怖から逃れられない人たち。窓も閉め切って、洗濯物も干せない。出来るだけ戸外の生活を避け、運動会には出番の生徒達だけが校庭を走り回る。それ以外の生徒達は、教室から観戦し声援を送る。不思議な光景です。部活だってままならない。活動時間が制限されています。
この女性は、自分のことしか考えない。自分以外の人たちの生活は、どうなっても構わない。単なるエゴの塊です。
フクシマの農産物、海産物は全く売れません。過剰な反応と風評被害で、未来が閉ざされています。そしてフクシマはオキナワの運命と同じく、放射能のゴミ捨て場として固定され見捨てられます。
主催者に尋ねました。放射能に対する国民の反応は理解出来るが、それが強くなればなるほどフクシマの人たちはますます追いつめられる。なかには、自ら命を絶つものも出てきた。あなたたちはフクシマの人たちの救済策を考えたことがあるのか、と。
主催者は言いました。フクシマの人たちは、牛でも引き連れて東電の前で座り込みでもすればいいんだ……。
これが、科学に精通したという主催者の答えでした。
農産物も売れない。生活資金も底をつく。将来の見通しも立たない。いったいどれだけの経費を使ってそんなことが出来るか。たしかに、そうすればメディアは飛びつくことだろう。TVや紙面を賑わす好材料だから。
だけど、現実的ではありません。今日明日の生活がままならない。そんな時に、どれほどの輸送費を払って牛たちを東京へ運べばいいのでしょうか。
放射能に対する知識を深め、出来るだけ生活から振り払う。それは間違いではありません。
しかしながら、反応が過剰になればなるほど、フクシマや被災者たちの首を締め付けていくことなのです。
「被災地に協力したい」
そう言っていたはずなのに、手の平を返したように我が身の幸せだけを考える。これが、今の日本人?
どこに『絆』があるの?
いつの間にか、夏! [生き物たちのつぶやき。]
井上陽水の歌に「いつのまにか少女は」という叙情的な曲があります。何だか切なくて懐かしくて、時々鼻歌でメロディが出てきます。
♪少女は 静かに音もたてずに おとなになった……
で、この曲とは全く違うのですが、長〜い怠慢生活を続けていたら、いつのまにか初夏になってしまいました。いつも訪問して下さった方々には、永らくご無沙汰をいたしまして、申し訳ございません。あまりの音信の無さに、あ〜ぁまたアタマおかしくなったバイね。きっとそう思われたことでしょう。自分でも少しおかしくなったと思っているくらいですから。
今年は、寒過ぎる春がありました。大寒の凍えるような日でも、半袖姿で地球を掘りました。多少皮膚感覚までもバカになってきたみたいです。そして、一気に暖か過ぎる春もやって来ました。その間に、人骨も何体か発掘され、古代の人たちの生活に思いを馳せました。当たり前に、時が経過していきました。何ら考えることもなく、ボケーっとしながら。
でもオラの仕事は、3月一杯で終了しました。5月からまた再雇用の予定なんですが、まだその知らせは届いていません。じっくりと待ちましょう。
3月の花見盛りに仕事から離れたものですから、花見の機会が何度となく訪れました。真っ昼間から鼻先をまっ赤にして何度踊りまくったことでしょうか。酔いが醒めた翌日、決まったように昨晩のバカ騒ぎを悔いて、ひとりシクシクと泣きました。そんなことで、穏やかな日々が流れていました。
フクシマの人たち、動物も植物も大地も空も、みんな苦しい思いをしている間に、遠く離れたこの地では穏やかな気候が続き、夏に向けてまっしぐら。東北の農産物や魚介類が敬遠されてるその分だけ、この地の農漁業生産物が重宝され、売り上げを伸ばしています。複雑な心境ですが、致し方ありません。諸悪の根源がこれから先、半永久に残っている限り、フクシマの人たちには苦難が待ち続けています。罪のない人たちが、どこまでも不幸な目に遭うなんて、許されるべきではありませんし、同じ日本人同士、そんな人たちを見ぬ振りは出来ません。
でも現実は、被災地の方々には不利なことばかりがまかり通っています。遊び盛りの児童たちが、外で遊ぶことも止められ、戸を閉め切ってマスクをして毎日を過ごす。オラの故郷でも、幼稚園や保育園児の戸外活動は30分、小学生は3時間と決められているようで、屋内生活でのストレスからかけんかが頻繁に起きているようです。運動会にしても、出番の生徒だけが校庭に出て、その他の人たちは屋内で観戦。不思議な光景ですね。
TVのなかでは、バラエティ番組のバカ騒ぎが茶の間を席巻(せっけん)しています。そんな表のにぎやかさとは違って、厳しい現実に追いつめられ、将来への不安から逃れなくて自ら命を絶った人もいます。
除染を幾度と重ねても、フクシマには、半永久に止むことのない、恐怖の雪が降り続けます……。
わが家にも春が到来して、いろんな春の芽が吹き出ています。

紅シジミ蝶がやってきました。 右は、ジャンボ太秋柿の苗。


いちぢくも2年目で、早くも小さな実を付けています。右のスダチも2年目。


オリーブの苗も植えてみました。イチゴは、鉢植えに。


山吹の花が色鮮やかです。右の松葉ギクは、メタボ気味の葉が元気そのもの。


ヒメシャラの実がこぼれて、小さな芽を出しました。山あじさいは色鮮やか。


ナンテンの若芽。右は、昨年野原から採ってきたネジバナです。初夏には、ねじれたピンクの花を咲かせます。


スナップえんどうも伸び盛り。パセリ、セロリも青青としています。


ふきのとうも沢山穫れました。みょうがも元気よし。


やっぱりスイカは欠かせません。たらの芽を植えました。収穫は来年は無理かな?
♪少女は 静かに音もたてずに おとなになった……
で、この曲とは全く違うのですが、長〜い怠慢生活を続けていたら、いつのまにか初夏になってしまいました。いつも訪問して下さった方々には、永らくご無沙汰をいたしまして、申し訳ございません。あまりの音信の無さに、あ〜ぁまたアタマおかしくなったバイね。きっとそう思われたことでしょう。自分でも少しおかしくなったと思っているくらいですから。
今年は、寒過ぎる春がありました。大寒の凍えるような日でも、半袖姿で地球を掘りました。多少皮膚感覚までもバカになってきたみたいです。そして、一気に暖か過ぎる春もやって来ました。その間に、人骨も何体か発掘され、古代の人たちの生活に思いを馳せました。当たり前に、時が経過していきました。何ら考えることもなく、ボケーっとしながら。
でもオラの仕事は、3月一杯で終了しました。5月からまた再雇用の予定なんですが、まだその知らせは届いていません。じっくりと待ちましょう。
3月の花見盛りに仕事から離れたものですから、花見の機会が何度となく訪れました。真っ昼間から鼻先をまっ赤にして何度踊りまくったことでしょうか。酔いが醒めた翌日、決まったように昨晩のバカ騒ぎを悔いて、ひとりシクシクと泣きました。そんなことで、穏やかな日々が流れていました。
フクシマの人たち、動物も植物も大地も空も、みんな苦しい思いをしている間に、遠く離れたこの地では穏やかな気候が続き、夏に向けてまっしぐら。東北の農産物や魚介類が敬遠されてるその分だけ、この地の農漁業生産物が重宝され、売り上げを伸ばしています。複雑な心境ですが、致し方ありません。諸悪の根源がこれから先、半永久に残っている限り、フクシマの人たちには苦難が待ち続けています。罪のない人たちが、どこまでも不幸な目に遭うなんて、許されるべきではありませんし、同じ日本人同士、そんな人たちを見ぬ振りは出来ません。
でも現実は、被災地の方々には不利なことばかりがまかり通っています。遊び盛りの児童たちが、外で遊ぶことも止められ、戸を閉め切ってマスクをして毎日を過ごす。オラの故郷でも、幼稚園や保育園児の戸外活動は30分、小学生は3時間と決められているようで、屋内生活でのストレスからかけんかが頻繁に起きているようです。運動会にしても、出番の生徒だけが校庭に出て、その他の人たちは屋内で観戦。不思議な光景ですね。
TVのなかでは、バラエティ番組のバカ騒ぎが茶の間を席巻(せっけん)しています。そんな表のにぎやかさとは違って、厳しい現実に追いつめられ、将来への不安から逃れなくて自ら命を絶った人もいます。
除染を幾度と重ねても、フクシマには、半永久に止むことのない、恐怖の雪が降り続けます……。
わが家にも春が到来して、いろんな春の芽が吹き出ています。

紅シジミ蝶がやってきました。 右は、ジャンボ太秋柿の苗。

いちぢくも2年目で、早くも小さな実を付けています。右のスダチも2年目。


オリーブの苗も植えてみました。イチゴは、鉢植えに。


山吹の花が色鮮やかです。右の松葉ギクは、メタボ気味の葉が元気そのもの。


ヒメシャラの実がこぼれて、小さな芽を出しました。山あじさいは色鮮やか。


ナンテンの若芽。右は、昨年野原から採ってきたネジバナです。初夏には、ねじれたピンクの花を咲かせます。


スナップえんどうも伸び盛り。パセリ、セロリも青青としています。


ふきのとうも沢山穫れました。みょうがも元気よし。


やっぱりスイカは欠かせません。たらの芽を植えました。収穫は来年は無理かな?
年の初めは……。(85) [頭の痛〜い話]
正月の挨拶もないままに、長いオラの正月休みが終わろうとしています。それでも、冷え込みで急にモヨオシタように、ガマン出来なくなって、ついにブログアップを思いつきました。
夏休み最後の日に、夏休みの友と格闘するかつてのオラのご幼少の頃を思い出します。いえ、オラはそんなふしだらなことはしませんでしたよ。夏休み最後の日に大あわてするなんて、とんでもない。休み終了二日前は忙しかったですけどね。
年の初めは……、もっと厳かに、身を清めて白装束でコトをなさなければなりません。でも、オラのブログではそんな格式や品格など、とうの昔に忘れてしまっていますから、相変わらずのヤらしいこと、ピー音が入るようないかがわしい言葉も飛び出すかもしれません。ご容赦を!
今年の正月は、昨年義父が他界しましたので、取り立てて何もいたしませんでした。静かな正月でした。来客も、年賀状もなく、夫婦水入らず(酒は要りました)で、面白くもないTVをしかめっ面で見ていました。
喪中だから静々と過ごしていた、というわけではありません。実は、暮れの忘年会に、ついついオラの、それでなくても外れやすいタガが、思いっきり外れてしまって、ちょっとジコケンオなるものに陥っていたからです。
もう若くはない、充分に知ってはいたつもりですが、ついついお酒が入ってしまうと、もうガタガタです。もう忘年会会場に着いたとたん、いえ着く前からオラのかなりキツ過ぎると思っていたタガが、ガタガタガタ〜と大きな音を立てていました。困ったもんです。
いえいえ、婦人方に失礼をしたとかその手の類いではありません。そんなお下品なことは、このオラ自身が許しませんよ。
ただ、デパートの特売チラシを見たお客さまが、開店のドアが開くやいなや一気に会場へなだれ込むように、オラの一気飲みが始まったのです。
ホントに、もう若くはないんです。そりゃ数年前までは、屁とも思わなかったんでしょうね。でも、焼酎の生での一気飲み、こたえます。コップに注いで頂いたものは、一気に飲んで返さないと失礼のような気がして、オラの飲酒哲学というか、宴会哲学というか、グビグビッと残らず飲み干してすぐにお返ししました。いつものように酒の肴もあまり取らず、せいぜい刺身を2、3切れ。あちこちの席を回ってこんなことやっていたもんですから、もうたまりません。宴会終了を待たずに、ひっくり返りました。もう、立てません。顔はニコニコ、でもべろんべろん。もう、私は誰? あなたも誰? そんな世界をさまよっていました。幸いに、ゲロを吐くようなことはなかったので、ひと安心。
その後の2次会、カラオケにも行ったというのですが、自分では覚えていません。じつは、カラオケルームで最初から最後までグースカ眠っていたそうです。ちょうど、オラのあの手術の時、手術台に載せられてグースカと眠っていて自分の頭が非常な事態になっていることさえ気づかなかったあの時と同じです。実に平和な時でした。眠っていた時はね…。
でも、ただただザンネン。自慢ののどを披露しようと、レパートリーを磨きをかけて準備していたのに。
それから数時間後、そんな酔っ払いが家まで無事に帰れるわけがありません。靴も履けず、ジャンパーも店の従業員のものを着て帰ったくらいですからね(あとで返しに行きました。睨まれましたけど)。
幸いにも、友人たちがオラの電話から家を探し当てて、無事に送り届けて下さいました。感謝感謝!
ここで多少の言い訳を許してもらえるならば、ちょっと言いたい。
手術で平衡感覚の神経を切っています。普段の生活では、平衡機能の代役を小脳が受け持っています。(かなり反応の鈍い代役ですが)
ですからね、こんなべろんべろんに酔った時などは、小脳くんも酩酊状態。平衡機能をうまく果たせません。立つのも、歩くのも大変なんです。
そういえば、昨年の暑気払いの宴会でも飲み過ぎ、帰りの自転車がママならず、2度ほど転んで腕をすりむきました。やっぱ、飲み過ぎはいけませんナ〜!
ささやかな正月料理で、静かにお正月気分を味わいました。義母さん、義娘、そしてオラたち夫婦。4人の、静かな正月風景。お酒は、マッコリ。アルコール度は、ビール程度の6%ほど。乳酸菌醗酵のほのかな甘みと酸味。義母さんにも飲みやすいお酒と思い、用意しました。おいしいものですね。
本日10日は、仕事始め。初日よりきつめの肉体仕事。
心配していた野良猫ちゃんは、昼時になったら車のそばで待っていました。用意していたキャットフードとパンなどを、ぺろりと平らげました。元気に、仕事始めを待っていたようですね。
夏休み最後の日に、夏休みの友と格闘するかつてのオラのご幼少の頃を思い出します。いえ、オラはそんなふしだらなことはしませんでしたよ。夏休み最後の日に大あわてするなんて、とんでもない。休み終了二日前は忙しかったですけどね。
年の初めは……、もっと厳かに、身を清めて白装束でコトをなさなければなりません。でも、オラのブログではそんな格式や品格など、とうの昔に忘れてしまっていますから、相変わらずのヤらしいこと、ピー音が入るようないかがわしい言葉も飛び出すかもしれません。ご容赦を!
今年の正月は、昨年義父が他界しましたので、取り立てて何もいたしませんでした。静かな正月でした。来客も、年賀状もなく、夫婦水入らず(酒は要りました)で、面白くもないTVをしかめっ面で見ていました。
喪中だから静々と過ごしていた、というわけではありません。実は、暮れの忘年会に、ついついオラの、それでなくても外れやすいタガが、思いっきり外れてしまって、ちょっとジコケンオなるものに陥っていたからです。
もう若くはない、充分に知ってはいたつもりですが、ついついお酒が入ってしまうと、もうガタガタです。もう忘年会会場に着いたとたん、いえ着く前からオラのかなりキツ過ぎると思っていたタガが、ガタガタガタ〜と大きな音を立てていました。困ったもんです。
いえいえ、婦人方に失礼をしたとかその手の類いではありません。そんなお下品なことは、このオラ自身が許しませんよ。
ただ、デパートの特売チラシを見たお客さまが、開店のドアが開くやいなや一気に会場へなだれ込むように、オラの一気飲みが始まったのです。
ホントに、もう若くはないんです。そりゃ数年前までは、屁とも思わなかったんでしょうね。でも、焼酎の生での一気飲み、こたえます。コップに注いで頂いたものは、一気に飲んで返さないと失礼のような気がして、オラの飲酒哲学というか、宴会哲学というか、グビグビッと残らず飲み干してすぐにお返ししました。いつものように酒の肴もあまり取らず、せいぜい刺身を2、3切れ。あちこちの席を回ってこんなことやっていたもんですから、もうたまりません。宴会終了を待たずに、ひっくり返りました。もう、立てません。顔はニコニコ、でもべろんべろん。もう、私は誰? あなたも誰? そんな世界をさまよっていました。幸いに、ゲロを吐くようなことはなかったので、ひと安心。
その後の2次会、カラオケにも行ったというのですが、自分では覚えていません。じつは、カラオケルームで最初から最後までグースカ眠っていたそうです。ちょうど、オラのあの手術の時、手術台に載せられてグースカと眠っていて自分の頭が非常な事態になっていることさえ気づかなかったあの時と同じです。実に平和な時でした。眠っていた時はね…。
でも、ただただザンネン。自慢ののどを披露しようと、レパートリーを磨きをかけて準備していたのに。
それから数時間後、そんな酔っ払いが家まで無事に帰れるわけがありません。靴も履けず、ジャンパーも店の従業員のものを着て帰ったくらいですからね(あとで返しに行きました。睨まれましたけど)。
幸いにも、友人たちがオラの電話から家を探し当てて、無事に送り届けて下さいました。感謝感謝!
ここで多少の言い訳を許してもらえるならば、ちょっと言いたい。
手術で平衡感覚の神経を切っています。普段の生活では、平衡機能の代役を小脳が受け持っています。(かなり反応の鈍い代役ですが)
ですからね、こんなべろんべろんに酔った時などは、小脳くんも酩酊状態。平衡機能をうまく果たせません。立つのも、歩くのも大変なんです。
そういえば、昨年の暑気払いの宴会でも飲み過ぎ、帰りの自転車がママならず、2度ほど転んで腕をすりむきました。やっぱ、飲み過ぎはいけませんナ〜!
ささやかな正月料理で、静かにお正月気分を味わいました。義母さん、義娘、そしてオラたち夫婦。4人の、静かな正月風景。お酒は、マッコリ。アルコール度は、ビール程度の6%ほど。乳酸菌醗酵のほのかな甘みと酸味。義母さんにも飲みやすいお酒と思い、用意しました。おいしいものですね。本日10日は、仕事始め。初日よりきつめの肉体仕事。
心配していた野良猫ちゃんは、昼時になったら車のそばで待っていました。用意していたキャットフードとパンなどを、ぺろりと平らげました。元気に、仕事始めを待っていたようですね。
タグ:マッコリ
今年も、暮れる…! [ささやかな風景]
あと数時間の2011年。明日は、はやくこいこいと歌ったお正月。いや、もうそんな時代は過ぎました。正月といっても、なに? 何があるってんだい。TVばかりがうるさくしやがって……。などと言って、愚痴をこぼします。
ほんとに、おっさんになってくると夢も希望もないですね。棺桶がただただ近づくばかりの、お正月です。困ったもんだな〜。明日は、墓石でも見に行ってくるか。福袋なんてものは、あるんだろうかね。
正月といっても取り立てて何もありません。喪中だということもありますが、コタツに入って視たくもないTVに目を奪われるだけです。そして奥さんと、お酒をチビリチビリとやるだけです。大好きなモチを食べながら……。
でもね、やっぱり今日ぐらいは一年を振り返ってみましょうか。
でも何もありません。変化のない、平凡な、だらだらと、締まりない、そんな日が過ぎていきました。今振り返っても、何があったんだろうな〜と、これまた探すのが大変なくらいです。
でも、何といっても東北の大震災は衝撃的でした。9ヵ月経った今でも、被災者の痛手は物心共ども大変なものでしょう。それを考えると、心が痛みます。10月に、石巻市を訪れました。何も残っていない街と残骸を見て、ブログでアップしていこうと思っていたのですが、何故かそんな気になれずに時が過ぎていきました。
実家の福島の方でも、兄姉たちが放射能と風評被害と闘っています。人間の生活に必要でなかった原子力に現在も未来も粉々に壊された人たち。もう、そんな震災などとうの昔の出来事だと忘れてしまった人たち。そして、他人事だと……。
そんな平和な人たちのことを考えると、腹立たしくも悲しい気もします。でも、このオラだって何も出来やしない。反原発の署名運動を手伝うだけ。複雑です……。
仕事が休みになって、気がかりなことがあります。朝昼と餌を与えていた野良猫ちゃんのことが心配です。飢えてないだろうか、寒くないだろうか。時々、現場まで行って餌を与えてこようか、などと考えますが実行していません。正月あけまで元気でいればいいが……。
数日前に生まれて初めてイカ釣りというものをしてきました。仕掛けも方法も分からないし、ただ見よう見まね。当日は氷点下の寒さ。風も強く、凍えそうでした。鼻水がダラダラと垂れて、唇の辺りまでやって来ます。ちり紙を出すのも面倒で、ついつい垂れた鼻水を舌先でペロリ。いえ、そんなことはしません。とうの昔に卒業しました。袖口で拭い取りました、ハイ。
コウイカなんですが、夜間の方がはるかに釣れるようです。でもね、オラの場合、辺りが暗くなると体のバランスを保てません。そのまま防波堤から海中へと夜間水泳を楽しむようになるでしょう。昼でも防波堤に立つのは危険でしたから、出来るだけ動かず、ただ座っていました。もちろん、一匹も釣れません。
寒かったですが、海はいいものです。大好きです。ただ、ボーッとして、眺めているだけで心が穏やかになります。

♪うみはすてきだな〜 恋しているからさ〜
なんていうユーゾーさんの歌がありましたが、あまりに恋し過ぎたために、鼻水がダラダラと垂れて、現在は風邪気味〜!
暮れは、皆さん焦っていますね。何だか……。
一昨日も今日も、スーパーで客同士の車がガチャン。目の前の出来事に、あんなに慌てなくてもいいのに、という実感。
でもね、今日は、我が身に災難が降りかかりました。買い物の帰りに自転車で信号を渡ったら、前方ばかりを気にしていた右折の車が急に突っ込んできました。こちらは青信号、自転車の横断路を通っているところです。まだ道路の半分も渡っていないのに、その車は勢いよく右折しました。一瞬ヤバいと思ったオラは、ペダルに力を入れました。幸い後輪の三分の一辺りに激突しましたが、オラの自転車は勢いがついていましたから転倒しませんでした。衝撃はありました。
歩道を渡って急いでその車を見たのですが、猛スピードで遠ざかり、ナンバーを確認することは出来ませんでした。シルバーのコンパクトカーで、女性のドライバーでした。
自転車は、後部泥よけが多少歪んだだけで済みましたが、何だか腹立たしく、いや〜な気分になりました。そのドライバーだって、気づいていたはず。ひき逃げ、逃走、きっと嫌な気分になっているはずです。
でも数時間経った今では、ただそれだけで済んだのだから幸せだったバイ、そんなふうに考えられて、どうにか新年を迎える心の準備もできてきました。アブナカッタネー!
人間、健康が大事です。名もなく貧しく美しく…ですかね。
今年もダレながらもブログを続けてきました。読者の皆さん、本当にありがとうございました。来年は、また違う路線でガンバロ〜と思っています。オラの、これまでとは違った、ヤらしい部分を存分に発揮して……。
よいお年をお迎え下さい。
ほんとに、おっさんになってくると夢も希望もないですね。棺桶がただただ近づくばかりの、お正月です。困ったもんだな〜。明日は、墓石でも見に行ってくるか。福袋なんてものは、あるんだろうかね。
正月といっても取り立てて何もありません。喪中だということもありますが、コタツに入って視たくもないTVに目を奪われるだけです。そして奥さんと、お酒をチビリチビリとやるだけです。大好きなモチを食べながら……。
でもね、やっぱり今日ぐらいは一年を振り返ってみましょうか。
でも何もありません。変化のない、平凡な、だらだらと、締まりない、そんな日が過ぎていきました。今振り返っても、何があったんだろうな〜と、これまた探すのが大変なくらいです。
でも、何といっても東北の大震災は衝撃的でした。9ヵ月経った今でも、被災者の痛手は物心共ども大変なものでしょう。それを考えると、心が痛みます。10月に、石巻市を訪れました。何も残っていない街と残骸を見て、ブログでアップしていこうと思っていたのですが、何故かそんな気になれずに時が過ぎていきました。
実家の福島の方でも、兄姉たちが放射能と風評被害と闘っています。人間の生活に必要でなかった原子力に現在も未来も粉々に壊された人たち。もう、そんな震災などとうの昔の出来事だと忘れてしまった人たち。そして、他人事だと……。
そんな平和な人たちのことを考えると、腹立たしくも悲しい気もします。でも、このオラだって何も出来やしない。反原発の署名運動を手伝うだけ。複雑です……。
仕事が休みになって、気がかりなことがあります。朝昼と餌を与えていた野良猫ちゃんのことが心配です。飢えてないだろうか、寒くないだろうか。時々、現場まで行って餌を与えてこようか、などと考えますが実行していません。正月あけまで元気でいればいいが……。数日前に生まれて初めてイカ釣りというものをしてきました。仕掛けも方法も分からないし、ただ見よう見まね。当日は氷点下の寒さ。風も強く、凍えそうでした。鼻水がダラダラと垂れて、唇の辺りまでやって来ます。ちり紙を出すのも面倒で、ついつい垂れた鼻水を舌先でペロリ。いえ、そんなことはしません。とうの昔に卒業しました。袖口で拭い取りました、ハイ。
コウイカなんですが、夜間の方がはるかに釣れるようです。でもね、オラの場合、辺りが暗くなると体のバランスを保てません。そのまま防波堤から海中へと夜間水泳を楽しむようになるでしょう。昼でも防波堤に立つのは危険でしたから、出来るだけ動かず、ただ座っていました。もちろん、一匹も釣れません。
寒かったですが、海はいいものです。大好きです。ただ、ボーッとして、眺めているだけで心が穏やかになります。


♪うみはすてきだな〜 恋しているからさ〜
なんていうユーゾーさんの歌がありましたが、あまりに恋し過ぎたために、鼻水がダラダラと垂れて、現在は風邪気味〜!
暮れは、皆さん焦っていますね。何だか……。
一昨日も今日も、スーパーで客同士の車がガチャン。目の前の出来事に、あんなに慌てなくてもいいのに、という実感。
でもね、今日は、我が身に災難が降りかかりました。買い物の帰りに自転車で信号を渡ったら、前方ばかりを気にしていた右折の車が急に突っ込んできました。こちらは青信号、自転車の横断路を通っているところです。まだ道路の半分も渡っていないのに、その車は勢いよく右折しました。一瞬ヤバいと思ったオラは、ペダルに力を入れました。幸い後輪の三分の一辺りに激突しましたが、オラの自転車は勢いがついていましたから転倒しませんでした。衝撃はありました。
歩道を渡って急いでその車を見たのですが、猛スピードで遠ざかり、ナンバーを確認することは出来ませんでした。シルバーのコンパクトカーで、女性のドライバーでした。
自転車は、後部泥よけが多少歪んだだけで済みましたが、何だか腹立たしく、いや〜な気分になりました。そのドライバーだって、気づいていたはず。ひき逃げ、逃走、きっと嫌な気分になっているはずです。
でも数時間経った今では、ただそれだけで済んだのだから幸せだったバイ、そんなふうに考えられて、どうにか新年を迎える心の準備もできてきました。アブナカッタネー!
人間、健康が大事です。名もなく貧しく美しく…ですかね。
今年もダレながらもブログを続けてきました。読者の皆さん、本当にありがとうございました。来年は、また違う路線でガンバロ〜と思っています。オラの、これまでとは違った、ヤらしい部分を存分に発揮して……。
よいお年をお迎え下さい。
この冬も定番の“雪ダルマ” [美しき、とんぼ玉!]
近頃は、とんぼ玉作りもサボりまくっています。
仕事疲れと、夏の暑さはまったくの言い訳でしょうね。
それでもこの時期になると、この雪ダルマだけは作りまくります。知り合った人たちに差し上げたり、実演を見に遠くから来られた人などにおみやげとして差し上げたりします。ですから、売り上げた数よりも、差し上げた数の方が多いようです。
例年この時期には、八代市にある画廊喫茶ミックさんに、この雪ダルマを置いて頂いています。クリスマス後に追加注文があったので、大急ぎで作りました。
朝早くバーナーを点火して作業をしたのですが、気温が低過ぎてガスが燃えにくく、すぐにプスプスと言って消えてしまいます。氷点下の温度ですから、作った後に割れるんじゃないかと心配しましたが、どうにかいくつか作り終え、郵送しました。
自分で言うのも何ですが、この雪ダルマはストラップとしてもかわいいですね。プラスチックではないガラスの重みが、存在感を高めます。

仕事疲れと、夏の暑さはまったくの言い訳でしょうね。
それでもこの時期になると、この雪ダルマだけは作りまくります。知り合った人たちに差し上げたり、実演を見に遠くから来られた人などにおみやげとして差し上げたりします。ですから、売り上げた数よりも、差し上げた数の方が多いようです。
例年この時期には、八代市にある画廊喫茶ミックさんに、この雪ダルマを置いて頂いています。クリスマス後に追加注文があったので、大急ぎで作りました。
朝早くバーナーを点火して作業をしたのですが、気温が低過ぎてガスが燃えにくく、すぐにプスプスと言って消えてしまいます。氷点下の温度ですから、作った後に割れるんじゃないかと心配しましたが、どうにかいくつか作り終え、郵送しました。
自分で言うのも何ですが、この雪ダルマはストラップとしてもかわいいですね。プラスチックではないガラスの重みが、存在感を高めます。

今年も地球を掘りまくった……! [熊本あれこれ]
12月は、やはり慌ただしかった。
気温も、乱高下。あったかくなったかと思うと、氷点下の朝。それでもオラは地球を掘りまくりました。
よく見かけます。凍えあがるほど寒い朝でも、半袖半ズボン姿の小学生。ちょっと感覚がおかしいんじゃないかね〜なんて思わせるほどの、無感覚さ。しかしながら、そんな小学生にはちと負けるけど、オラの作業姿も半袖のTシャツ一枚。他の人たちは、防寒着にくるまっているというのに、ちょっとヘンです。
同僚からも、やっぱこいつはどっかおかしか。アタマ切ったせいだろうな、なんて囁かれているようです。
でもね、オラだって寒いのですよ。でも他の人とちょっと違うのは、少し動いただけでもう汗が吹き出るという体質なんです。人一倍汗っかき。汗で体がグチャグチャになることの不快さを避けるために、薄着をします。
性格はいたって穏健なんですが、瞬間湯沸かし器なみの発熱機能を備えています。これも、たぶん、寒い地方で育ったお陰なんだろうと思いますね。それと、お父つぁん、おっ母さんの教育が良かったんでしょうか。
いい歳のオッサンになったけど、いたって健康。つい先日の忘年会でも、焼酎、日本酒の一気飲み。もう止まりません。
でも、この後は思い切り酔っ払ってしまって、自分では立てません。あっちこっちで地球を担ぎ上げようなんて姿が見られました。本当は、ひっくり返って、相当に体を打ってしまったのです。もう、体じゅうアザだらけ。翌日から何日間は、体のあちこちに湿布を貼って、自己嫌悪に陥ってシクシクと泣いていました。
もう、一気飲みはやるまい。この顔の渋さに合わせた奥ゆかしい飲み方が良かんべナ、とつくづく思ったのでありました。



樹齢数百年のクスの大木を、巨大クレーンで移植しながら、発掘は進められてきました。
縄文から近世までの地層が重なり合って、遺物もたくさん出土しました。
この遺跡からは、人骨が4体出土しました。時代は奈良平安期、男女の骨です。



出土した人骨については、土井ヶ浜人類学ミュージアム館長、形質人類学者の松下孝幸先生が、面白くも詳しく説明して下さいました。
人骨の硬さは、固いものでも菓子の落雁ていど。すぐにグズグズと崩れてしまいます。なるべく形を崩さないように、刷毛で土を払いながら発掘します。先生の話によると、遺跡が百カ所あったとしても人骨が出るのは、その中の1つか2つていど。人骨が長い時間の中で、土に溶けずに残るということがいかに難しいかということ。
それと面白い?話ですが、人間の脳は植物にとっては大変いい肥料になるらしく、どの頭蓋骨にも木々の根が貫通しているとのこと。そういえば、これらの人骨の頭蓋骨にも、まん中に向かって木の根が伸びていました。
気温も、乱高下。あったかくなったかと思うと、氷点下の朝。それでもオラは地球を掘りまくりました。
よく見かけます。凍えあがるほど寒い朝でも、半袖半ズボン姿の小学生。ちょっと感覚がおかしいんじゃないかね〜なんて思わせるほどの、無感覚さ。しかしながら、そんな小学生にはちと負けるけど、オラの作業姿も半袖のTシャツ一枚。他の人たちは、防寒着にくるまっているというのに、ちょっとヘンです。
同僚からも、やっぱこいつはどっかおかしか。アタマ切ったせいだろうな、なんて囁かれているようです。
でもね、オラだって寒いのですよ。でも他の人とちょっと違うのは、少し動いただけでもう汗が吹き出るという体質なんです。人一倍汗っかき。汗で体がグチャグチャになることの不快さを避けるために、薄着をします。
性格はいたって穏健なんですが、瞬間湯沸かし器なみの発熱機能を備えています。これも、たぶん、寒い地方で育ったお陰なんだろうと思いますね。それと、お父つぁん、おっ母さんの教育が良かったんでしょうか。
いい歳のオッサンになったけど、いたって健康。つい先日の忘年会でも、焼酎、日本酒の一気飲み。もう止まりません。
でも、この後は思い切り酔っ払ってしまって、自分では立てません。あっちこっちで地球を担ぎ上げようなんて姿が見られました。本当は、ひっくり返って、相当に体を打ってしまったのです。もう、体じゅうアザだらけ。翌日から何日間は、体のあちこちに湿布を貼って、自己嫌悪に陥ってシクシクと泣いていました。
もう、一気飲みはやるまい。この顔の渋さに合わせた奥ゆかしい飲み方が良かんべナ、とつくづく思ったのでありました。



樹齢数百年のクスの大木を、巨大クレーンで移植しながら、発掘は進められてきました。
縄文から近世までの地層が重なり合って、遺物もたくさん出土しました。
この遺跡からは、人骨が4体出土しました。時代は奈良平安期、男女の骨です。



出土した人骨については、土井ヶ浜人類学ミュージアム館長、形質人類学者の松下孝幸先生が、面白くも詳しく説明して下さいました。
人骨の硬さは、固いものでも菓子の落雁ていど。すぐにグズグズと崩れてしまいます。なるべく形を崩さないように、刷毛で土を払いながら発掘します。先生の話によると、遺跡が百カ所あったとしても人骨が出るのは、その中の1つか2つていど。人骨が長い時間の中で、土に溶けずに残るということがいかに難しいかということ。
それと面白い?話ですが、人間の脳は植物にとっては大変いい肥料になるらしく、どの頭蓋骨にも木々の根が貫通しているとのこと。そういえば、これらの人骨の頭蓋骨にも、まん中に向かって木の根が伸びていました。
12月は、寒か〜! [生き物たちのつぶやき。]
11月までは、暑い日が続きました。例年にない高温の日が続いたおかげで、自然界では異変も起きているようです。山々の紅葉がきれいな赤や黄にならないとか、動物たちの冬ごもりが始まらないとか……。
わが家の周りでも、キアゲハが飛んでいましたが、11月の終わりになって、やっとサナギになってくれました。でもあまりの暑さのために、羽化してしまうのではないかと心配しました。12月になると一気に冷え込みましたので、このサナギも越冬して春に飛び立つことになるでしょう。
昨年は、12月の終わりに暖かい日が続きましたので、サナギたちを外の冷たい空気に触れさせておいたところ、運悪く飢えた野鳥たちにごっそりと持っていかれて、悲しい思いをしました。今年はそんなことのないように、目立たぬところに置いています。


Peeちゃんは、布団の上で奥さんの枕を独り占めして眠っています。のどかです。
それに反して、右の写真は野良のトラ猫です。朝、仕事場の駐車場に行くと待っているのです。仕事のある日には、キャットフードを与えています。昼食事にもやって来ますので、弁当をおすそ分けして与えます。近頃は寒い日が続いていますが、この野良猫ちゃんは、いたって元気です。家に連れて帰ることは出来ないので、朝と昼食だけで我慢してもらっています。


わが家の周りでも、キアゲハが飛んでいましたが、11月の終わりになって、やっとサナギになってくれました。でもあまりの暑さのために、羽化してしまうのではないかと心配しました。12月になると一気に冷え込みましたので、このサナギも越冬して春に飛び立つことになるでしょう。
昨年は、12月の終わりに暖かい日が続きましたので、サナギたちを外の冷たい空気に触れさせておいたところ、運悪く飢えた野鳥たちにごっそりと持っていかれて、悲しい思いをしました。今年はそんなことのないように、目立たぬところに置いています。


Peeちゃんは、布団の上で奥さんの枕を独り占めして眠っています。のどかです。
それに反して、右の写真は野良のトラ猫です。朝、仕事場の駐車場に行くと待っているのです。仕事のある日には、キャットフードを与えています。昼食事にもやって来ますので、弁当をおすそ分けして与えます。近頃は寒い日が続いていますが、この野良猫ちゃんは、いたって元気です。家に連れて帰ることは出来ないので、朝と昼食だけで我慢してもらっています。


とりあえず、ラーメンを食う! [「田舎っぺ村」から]
田舎っぺ村が、気になっていました。3.11以後、東北の様相はすっかり変わってしまいました。幸い休みが取れましたので、数日間、懐かしい東北の空気を胸一杯に吸うことが出来ました。もちろん放射能も含んでいるでしょうけど、そんなことよりも、現地で暮らしている方々の方がどれほどの苦労を背負っているか。そう思うと、胸が痛みます。
福島県いわき市の豊間海岸、宮城県の石巻市漁港界隈を歩いてみました。
このことは後ほどアップすることにして、オラが故郷の120年以上も前に立てられた土蔵が、ごらんのように見るも無惨な姿に変わり果てました。内部はさすがに日本の土蔵、被害はありませんが、外観が崩れてかわいそうですね。生きものではないですけど、長い歴史を平成の今まで生きてきて痛々しいです。
田舎っぺ村に帰る時に、いつも楽しみにしていることがあります。それは、大好物の鶏ガラしょうゆラーメンを食うことです。
当地では、鶏ガラスープのしょうゆラーメンなどを扱っている店はまれです。どこも豚骨ストレート麺。豚骨ももちろん大好物ですが、鶏ガラの繊細なしょうゆ味が何とも忘れられません。
羽田に着いたとたんから、ラーメンを食いまくるのですが、今回の旅ではラーメンは4食、蕎麦1食だけの麺食いでした。
いつも羽田着が昼時になるように行くのですが、第2ターミナルビルの“東京ラーメン 天”が超満員。行列を作っていますが、とても並ぶ気にはなれません。何しろ荷物が山ほど、足元に置いていたのではゆっくりと食う気にもなれません。仕方なく、その隣のお酒と蕎麦を出してくれる店に入りました。ここは何度か足を踏み入れたことはありますが、オラの口にはちょっと合いません。でも空腹で口の周りからヨダレが垂れていましたので、入り込みました。でもね、その店を出て、隣のラーメン屋さんの様子を見ると、やっぱり並んで待っても食うべきだったなぁ、なんて後悔するのです。オラにはさらにラーメンを食うだけの“胃力”はありませんので、シクシクと泣きながらその店を後にしました。


(写真左)石巻駅の近くで、やっと見つけたラーメン屋さん。駅付近は建物は残っていますが、内部が津波に全部さらわれて、営業している店はほとんどありません。300円の格安ですが、実に鶏ガラが出ていて味のいいラーメンでした。いつもラーメンの味を判断する基準のひとつに、最後の一滴までスープを飲み終えた時に再びこのラーメンを食べてみたいか否か、ということを考えます。このラーメンは、また石巻に来た時には食べてみようという気になりました。
(写真右)義姉さんが作ってくれたラーメン。市販のものなんだけど、実に美味しゅうございましたね。もちろん、好物の“イカにんじん”付き。


(写真左)田舎っぺ県でも人気のラーメンチェーン店“幸楽苑ラーメン”です。この店へは、義姉さんが連れて行ってくれました。人気の店だけに、昼時は超満員。列を作って待ちました。
(写真右)オラが新宿に寄る時には、目的はただひとつ。歌舞伎町にあるこのお店“喜多方ラーメン 坂内”です。この店のしょうゆ味ちぢれ麺は、思い出すたびにヨダレが垂れてきます。只の並みラーメンですが、柔らかいチャーシューも、実に分厚い。鶏ガラの味は、天下一品と言いたい。
帰りの新幹線で食べた栗・山菜弁当です。外の景色を眺めながら食べるのは、おいしいものです。オラの帰省を喜んでくれました。


40年ぶりに会えたイナゴです。九州のこの地にも田んぼは沢山ありますが、イナゴには一度もお目にかかったことはありませんでした。不思議ですね。自然が失われているのでしょうか。アベックで迎えてくれました。かわいい顔ですね。
夜、兄たちと一杯やっていると、外から声がしました。
「なんだべ〜、久しぶりだナイ」
そういうお声は、アマガエルです。いるんですね、いっぱい。一緒に、地酒が飲みたかったのでしょうか。
まだまだ暑さは続きます。 [生き物たちのつぶやき。]
ちょっと前のあの暑さは、何だったのか?
そんなことを思わせるほどに、めっきり秋めいてきました。それでも当地では最高気温が28度を超えています。朝晩は15度前後で、生活するには快適ですね。
家の周りの草むらの中では、いろんな虫たちも最後の仕上げ?のために、食いまくり、そして鳴きまくっています。野菜の葉も実も穴だらけ。レース模様の葉っぱが、あっちこっちに広がり、穴から顔を出した虫たちが「いい天気だない」なんて挨拶をしてきます。人のものを勝手に食って太りやがって……。何度も言うように、オラ、虫たちを飼育しているつもりはねぇ〜っつうの。
すでに刈り取った野菜なども多いのですが、いまだに青々として実をならせているものも多くあります。


(シソの実)小さな花芽をつけ始めたころを摘み取って、さっと熱湯をかけ、水洗いをして塩をふりかけて冷凍保存します。いつまでも色と香りが失われません。熱いごはんの友には最高の味です。
(オクラ)夏の炎天下では枯れそうな気配でしたが、涼しくなってきたら俄然元気を取り戻し、大きな実を毎日提供してくれます。


(ミョウガ)春に根っこを植えておいたものが、大繁殖。あちこちに大きな芽を出してくれました。生野菜、漬物、酢もの、薬味に最高の味ですね。
(ゴーヤ)まだまだなり続けています。本当に良くなってくれました。夏の炎天下、水やりだけは欠かさずに育てました。


(バジル)この香りに魅せられて、毎年植えています。やはりこの植物も、炎天下では枯れそうでした。今になって元気を取り戻し、青々とした葉を広げています。葉を摘み取ってやらないと、勢いが失われてしまいます。
(フキ)春に野原からフキノトウを採ってきて、植え込みました。かなり勢いが増してきました。


(芽キャベツ)苗を買いました。スイカもカボチャも終わったので、その場所を掘り起こして植え込みました。
(ミツバ)春に他所から頂いてきたミツバが花を咲かせ、種をこぼして、新しい芽が出たところです。


(いちぢく)春に植えた苗に実を付けたのですが、毎日少しずつ数を減らしていきます。不思議なことも起こるんだなぁと思っていたら、どうやら鳥たちがオラの留守を狙って失敬していったようです。も〜許さん、焼き鳥の刑だ〜!
(ひょうたん)千なりといえども、千個はなりませんでした。それでもかなりの数。現在は、水の中に漬けておいて、中味が腐るのを待っています。


(センニチコウ)奥さん用のドライフラワーにします。この花は、切っても切ってもまた花芽が出てきますね。55円ほどの花苗から、沢山の花がマジックのように出てきます。安上がり〜!
(アゲハチョウの幼虫)レモンの葉っぱはなくなりかけているけど、今年はアゲハ、キアゲハが数十頭が飛び立ちました。まだまだ卵を産みつけようとしているんですからね。もう、けっこ〜!
そんなことを思わせるほどに、めっきり秋めいてきました。それでも当地では最高気温が28度を超えています。朝晩は15度前後で、生活するには快適ですね。
家の周りの草むらの中では、いろんな虫たちも最後の仕上げ?のために、食いまくり、そして鳴きまくっています。野菜の葉も実も穴だらけ。レース模様の葉っぱが、あっちこっちに広がり、穴から顔を出した虫たちが「いい天気だない」なんて挨拶をしてきます。人のものを勝手に食って太りやがって……。何度も言うように、オラ、虫たちを飼育しているつもりはねぇ〜っつうの。
すでに刈り取った野菜なども多いのですが、いまだに青々として実をならせているものも多くあります。


(シソの実)小さな花芽をつけ始めたころを摘み取って、さっと熱湯をかけ、水洗いをして塩をふりかけて冷凍保存します。いつまでも色と香りが失われません。熱いごはんの友には最高の味です。
(オクラ)夏の炎天下では枯れそうな気配でしたが、涼しくなってきたら俄然元気を取り戻し、大きな実を毎日提供してくれます。


(ミョウガ)春に根っこを植えておいたものが、大繁殖。あちこちに大きな芽を出してくれました。生野菜、漬物、酢もの、薬味に最高の味ですね。
(ゴーヤ)まだまだなり続けています。本当に良くなってくれました。夏の炎天下、水やりだけは欠かさずに育てました。


(バジル)この香りに魅せられて、毎年植えています。やはりこの植物も、炎天下では枯れそうでした。今になって元気を取り戻し、青々とした葉を広げています。葉を摘み取ってやらないと、勢いが失われてしまいます。
(フキ)春に野原からフキノトウを採ってきて、植え込みました。かなり勢いが増してきました。


(芽キャベツ)苗を買いました。スイカもカボチャも終わったので、その場所を掘り起こして植え込みました。
(ミツバ)春に他所から頂いてきたミツバが花を咲かせ、種をこぼして、新しい芽が出たところです。


(いちぢく)春に植えた苗に実を付けたのですが、毎日少しずつ数を減らしていきます。不思議なことも起こるんだなぁと思っていたら、どうやら鳥たちがオラの留守を狙って失敬していったようです。も〜許さん、焼き鳥の刑だ〜!
(ひょうたん)千なりといえども、千個はなりませんでした。それでもかなりの数。現在は、水の中に漬けておいて、中味が腐るのを待っています。


(センニチコウ)奥さん用のドライフラワーにします。この花は、切っても切ってもまた花芽が出てきますね。55円ほどの花苗から、沢山の花がマジックのように出てきます。安上がり〜!
(アゲハチョウの幼虫)レモンの葉っぱはなくなりかけているけど、今年はアゲハ、キアゲハが数十頭が飛び立ちました。まだまだ卵を産みつけようとしているんですからね。もう、けっこ〜!
バカバカしい風評被害 [番外編]
やっぱり、叫びたい。どうしても叫ばなきゃなりません。オラが故郷、うつくしま福島がかわいそうです。
政治家も評論家も一般ピープルも、みんな嘘つきだ~! 痛みを分かち合うなどという精神は、いったいどこへいってしまったんだべ。
「がんばれ日本」などという標語は、どこか薄ら寒い。言葉だけで、実(じつ)が伴ってな〜い。
都知事のSちゃん、脳科学者のM木健一郎さんY老孟さん、北野Tさん、漫画家のH兼さん、タレント弁護士のK村さん、評論家K間和代さん、それに政治家もろもろ、タレントもろもろ、もうあまりに数が多くて書けませんが、みなさんTVで名を売って財も名声も充分に得た人たちばかりです。
こんな人たちに、お聞きしたい。
「あなたの家のすぐ近くに原発を作ると言っても、賛成しますか?」
どうでしょう。ほとんどの人は反対するんじゃないでしょうか。それでも賛成すると言うならば、原発推進発言を認めます。
どうも人間はいけませんね。自分に害が及ぼさないと知ると、勝手なことを言いくさります。相手の幸せや将来などどうでもいいのです。
やっぱり、被災者たちの痛みなど全く感じなくなっているのでしょう。
原発推進のタレントS道橋さんなどは、福島の事故があった直後に家族を遠く放射能の及ばない所へ避難させたということで、批判を浴びました。きっと自分の家族さえ良ければいいのでしょうね。血の通った人間の考えることではありません。人間として最低のことです。オラにはそう思えます。
東北で震災が起こった直後に、お江戸では飲料水の買い占めが行われました。そのせいで、被災者に回すべき飲料水が全く足りなくなりました。
被災地にとっては、飲料水がないことは由々しき問題だったのです。すぐにでもかき集めて被災者に配らなければならなかったはずです。
なのに、そんなことお構いなく、お江戸の住民は飲料水を独り占めしようとしました。明日、明後日の水は確保されているくせに。
お江戸には政治、経済、文化、その他いろんなことで日本をリードする人たちが集まっていると思っていました。こんなオラだって、青雲の志を抱いてお江戸に上り、黒船来航の折には日本の将来を憂いてゲバ棒を握ったりもしました。日本の津々浦々に配るべき瓦版を作ったりもしました。そんなお江戸が変わり果てましたね。自分たちが使い放題の電力を福島の地で作らせておいて、いざトラブルが発生すると、自分たちの身を守り逃げるのですね。
いつの時代から、日本はこうなったのでしょう。何とも不思議な気がします。衣食住も事足りて、あらゆる文明の機器に満ちあふれ、人々の生活も便利さ極まった今の時代、心ばかりが貧しくなっていきます。
京都の「五山送り火」の放射能騒ぎ。被災者の願いが書かれた護摩木が、受け入れ拒否にあいました。愛知県日進市の福島県産花火は打ち上げ中止に。
根も葉もない風評に恐れをなす市民に言いたい。なぜ真実を見ようとしないのだろうね。勇気を持って何が正しいのか見つめて欲しいなぁ。
福岡市のマリノアシティ福岡で、風評被害に苦しむ福島県の農家を支援しようと「ふくしま応援ショップ」の開店が予定されていましたが、農産物を運ぶトラックで放射能が運ばれるという理由で中止に追い込まれました。これもバカバカしい話です。
まったく人間は馬鹿なことを考えます。風評で困った人たちをかばうどころか、足蹴にして差別します。
ところが最近、この地オラの住む熊本でも嫌なニュースを聞いてしまいました。汚染瓦礫の処理に、福島だけでは処理しきれないから、各県で分担してやろうということに反対して、「熊本には瓦礫を持ち込ませない」運動が始まったのです。これも、我が身のことしか考えないエゴの極みです。
かつて熊本では、かの水俣病で人々は風評被害に遭いました。観光バスが水俣の町を通る時に、病気がうつるということで、乗客は息を止めたそうです。こんな馬鹿げたことが、まことしやかに信じ込まれていたのです。
こんな被害を受けた熊本の人間が、被災者の心を汲み取るどころか足蹴にする。まるで、いじめられっ子がいじめる側に立ったようなものです。
風評とは、怖いものです。弱虫である自分のエゴを隠そうと、みんなをあおり立てるのです。そして、根拠のない噂話は広がり、ますます被災者たちを追いつめていくのです。
同じ日本人同士、痛みは分かち合わなければなりません。
ひとの痛みを見て見ぬ振りをするなんて、人間のやるべきことではありません。
今、東電や九州電力、佐賀県の古川知事、天下り官僚など、欲に絡んださまざまな人たちの嘘が明らかになってきました。国民には、そんな人たちの餌食になって、幸せを失うことなどあってはなりません。
頂きものの清酒「奥の松」。福島県二本松市生産。大変に味が良くて、チビリチビリと冷やでやっています。


この鹿児島いも焼酎も絶品。Peeちゃんが管理をしています。
政治家も評論家も一般ピープルも、みんな嘘つきだ~! 痛みを分かち合うなどという精神は、いったいどこへいってしまったんだべ。
「がんばれ日本」などという標語は、どこか薄ら寒い。言葉だけで、実(じつ)が伴ってな〜い。
都知事のSちゃん、脳科学者のM木健一郎さんY老孟さん、北野Tさん、漫画家のH兼さん、タレント弁護士のK村さん、評論家K間和代さん、それに政治家もろもろ、タレントもろもろ、もうあまりに数が多くて書けませんが、みなさんTVで名を売って財も名声も充分に得た人たちばかりです。
こんな人たちに、お聞きしたい。
「あなたの家のすぐ近くに原発を作ると言っても、賛成しますか?」
どうでしょう。ほとんどの人は反対するんじゃないでしょうか。それでも賛成すると言うならば、原発推進発言を認めます。
どうも人間はいけませんね。自分に害が及ぼさないと知ると、勝手なことを言いくさります。相手の幸せや将来などどうでもいいのです。
やっぱり、被災者たちの痛みなど全く感じなくなっているのでしょう。
原発推進のタレントS道橋さんなどは、福島の事故があった直後に家族を遠く放射能の及ばない所へ避難させたということで、批判を浴びました。きっと自分の家族さえ良ければいいのでしょうね。血の通った人間の考えることではありません。人間として最低のことです。オラにはそう思えます。
東北で震災が起こった直後に、お江戸では飲料水の買い占めが行われました。そのせいで、被災者に回すべき飲料水が全く足りなくなりました。
被災地にとっては、飲料水がないことは由々しき問題だったのです。すぐにでもかき集めて被災者に配らなければならなかったはずです。
なのに、そんなことお構いなく、お江戸の住民は飲料水を独り占めしようとしました。明日、明後日の水は確保されているくせに。
お江戸には政治、経済、文化、その他いろんなことで日本をリードする人たちが集まっていると思っていました。こんなオラだって、青雲の志を抱いてお江戸に上り、黒船来航の折には日本の将来を憂いてゲバ棒を握ったりもしました。日本の津々浦々に配るべき瓦版を作ったりもしました。そんなお江戸が変わり果てましたね。自分たちが使い放題の電力を福島の地で作らせておいて、いざトラブルが発生すると、自分たちの身を守り逃げるのですね。
いつの時代から、日本はこうなったのでしょう。何とも不思議な気がします。衣食住も事足りて、あらゆる文明の機器に満ちあふれ、人々の生活も便利さ極まった今の時代、心ばかりが貧しくなっていきます。
京都の「五山送り火」の放射能騒ぎ。被災者の願いが書かれた護摩木が、受け入れ拒否にあいました。愛知県日進市の福島県産花火は打ち上げ中止に。
根も葉もない風評に恐れをなす市民に言いたい。なぜ真実を見ようとしないのだろうね。勇気を持って何が正しいのか見つめて欲しいなぁ。
福岡市のマリノアシティ福岡で、風評被害に苦しむ福島県の農家を支援しようと「ふくしま応援ショップ」の開店が予定されていましたが、農産物を運ぶトラックで放射能が運ばれるという理由で中止に追い込まれました。これもバカバカしい話です。
まったく人間は馬鹿なことを考えます。風評で困った人たちをかばうどころか、足蹴にして差別します。
ところが最近、この地オラの住む熊本でも嫌なニュースを聞いてしまいました。汚染瓦礫の処理に、福島だけでは処理しきれないから、各県で分担してやろうということに反対して、「熊本には瓦礫を持ち込ませない」運動が始まったのです。これも、我が身のことしか考えないエゴの極みです。
かつて熊本では、かの水俣病で人々は風評被害に遭いました。観光バスが水俣の町を通る時に、病気がうつるということで、乗客は息を止めたそうです。こんな馬鹿げたことが、まことしやかに信じ込まれていたのです。
こんな被害を受けた熊本の人間が、被災者の心を汲み取るどころか足蹴にする。まるで、いじめられっ子がいじめる側に立ったようなものです。
風評とは、怖いものです。弱虫である自分のエゴを隠そうと、みんなをあおり立てるのです。そして、根拠のない噂話は広がり、ますます被災者たちを追いつめていくのです。
同じ日本人同士、痛みは分かち合わなければなりません。
ひとの痛みを見て見ぬ振りをするなんて、人間のやるべきことではありません。
今、東電や九州電力、佐賀県の古川知事、天下り官僚など、欲に絡んださまざまな人たちの嘘が明らかになってきました。国民には、そんな人たちの餌食になって、幸せを失うことなどあってはなりません。
頂きものの清酒「奥の松」。福島県二本松市生産。大変に味が良くて、チビリチビリと冷やでやっています。


この鹿児島いも焼酎も絶品。Peeちゃんが管理をしています。
うら若き女性の訪問……。 [生き物たちのつぶやき。]
ある日のことでございます。
夜更けに、玄関を叩く音で目を覚ましました。それは決して強い音ではなく、どちらかというとオラの耳では聞き逃しそうなか細い音でした。実際、音などはしなかったのかも知れませんが、なぜかふっと布団から起き上がり、玄関の方へ引き寄せられるような力を感じました。眠い目をこすりながら、オラは暗い廊下をすり足で進みました。そして、玄関のドアをそっと開けました。外はまっ暗闇です。星もお月さまも、まったく出ていません。
玄関のあたりには、確かに何かがいるような気配がします。でも、寝ぼけマナコでは、その姿をとらえることが出来ません。もう一度目をこすって庭先に目をやりました。すると、闇の中に黒い影を感じることが出来ました。もちろん、暗くて顔などは見えません。ただ、黄八丈のような黄色がかった着物姿であることがかすかに感じられ、どうやら女性の姿のようでした。
オラは、その着物姿に向かって声をかけました。
「どちらさん、ですか?」
それでも、反応がありません。オラは、背中の辺りが寒くなってくるのを感じました。でも、もう一度声をかけました。すると、
「わたくしでございます。もうお忘れになられたのでしょうか。かなしゅうございます」
オラは、頭の中が混乱してきました。乙女のようなか弱い声で悲しまれたのでは、思い出す理性などどこかへ吹っ飛んでしまいました。
それでもか弱い声は続きました。
「わたくし、これから遠い旅に出ます。その前にどうしてもお会いして、あの時のお礼を申し上げなければなりません。あの時お助けして頂かなければ、こうして旅に出ることなど出来ませんでした」
そう言われて、ますますオラは混乱してしまいました。心当たりなど、まったくありません。さて、どなただったかと思案をめぐらしても、頭の中はまっ白け。するとオラの言葉が待ちきれないように、その影が近づいてきました。そして、むき出しのオラの肩にそっと体をあずけたのです。
もうこうなってきますと、オッサンの妄想癖が止まりません。さてこの後はその着物姿の女性をそっと抱き寄せて、お得意のヤらしい場面の展開になるか、それとも悲恋の涙に打ちひしがれるか、もう先が読めません。
でも、今回はヤらしい場面は打ち消して、事実のみを話すことにいたしましょう。
先日、サナギとなったキアゲハが、体を枝に固定出来なくて落っこちていた記事を書きました。応急処置で縫い糸で体を縛り付け、テープでお尻を固定しました。そのキアゲハがついに羽化し、きれいな蝶に生まれ変わりました。
毎日気になっていて、玄関の近くに固定していたサナギを、朝起きるとすぐに確認していました。そして昨日の朝、いつものようにドアを開けました。すると這い出た脱け殻に止まっていたキアゲハがいきなり飛んできて、オラのむき出しの肩に止まったのです。驚きました。普通は人間を怖れて、遠くへ逃げることはあるのですが、いきなりオラの肩に止まるなんて。
しばらくじっとしていましたので、急いで奥さんを呼び、ケータイで写真に収めてもらいました。やがて写真を何枚か撮り終わるのを待って、キアゲハは、空高く飛んでいってしまいました。
奥さんいわく。
「そんな若い女性の方に、訪ねて来ていただきたいのですね?」
むむっ、何とも答えようがない! YesもNoも……。
夜更けに、玄関を叩く音で目を覚ましました。それは決して強い音ではなく、どちらかというとオラの耳では聞き逃しそうなか細い音でした。実際、音などはしなかったのかも知れませんが、なぜかふっと布団から起き上がり、玄関の方へ引き寄せられるような力を感じました。眠い目をこすりながら、オラは暗い廊下をすり足で進みました。そして、玄関のドアをそっと開けました。外はまっ暗闇です。星もお月さまも、まったく出ていません。
玄関のあたりには、確かに何かがいるような気配がします。でも、寝ぼけマナコでは、その姿をとらえることが出来ません。もう一度目をこすって庭先に目をやりました。すると、闇の中に黒い影を感じることが出来ました。もちろん、暗くて顔などは見えません。ただ、黄八丈のような黄色がかった着物姿であることがかすかに感じられ、どうやら女性の姿のようでした。
オラは、その着物姿に向かって声をかけました。
「どちらさん、ですか?」
それでも、反応がありません。オラは、背中の辺りが寒くなってくるのを感じました。でも、もう一度声をかけました。すると、
「わたくしでございます。もうお忘れになられたのでしょうか。かなしゅうございます」
オラは、頭の中が混乱してきました。乙女のようなか弱い声で悲しまれたのでは、思い出す理性などどこかへ吹っ飛んでしまいました。
それでもか弱い声は続きました。
「わたくし、これから遠い旅に出ます。その前にどうしてもお会いして、あの時のお礼を申し上げなければなりません。あの時お助けして頂かなければ、こうして旅に出ることなど出来ませんでした」
そう言われて、ますますオラは混乱してしまいました。心当たりなど、まったくありません。さて、どなただったかと思案をめぐらしても、頭の中はまっ白け。するとオラの言葉が待ちきれないように、その影が近づいてきました。そして、むき出しのオラの肩にそっと体をあずけたのです。
もうこうなってきますと、オッサンの妄想癖が止まりません。さてこの後はその着物姿の女性をそっと抱き寄せて、お得意のヤらしい場面の展開になるか、それとも悲恋の涙に打ちひしがれるか、もう先が読めません。
でも、今回はヤらしい場面は打ち消して、事実のみを話すことにいたしましょう。
先日、サナギとなったキアゲハが、体を枝に固定出来なくて落っこちていた記事を書きました。応急処置で縫い糸で体を縛り付け、テープでお尻を固定しました。そのキアゲハがついに羽化し、きれいな蝶に生まれ変わりました。
毎日気になっていて、玄関の近くに固定していたサナギを、朝起きるとすぐに確認していました。そして昨日の朝、いつものようにドアを開けました。すると這い出た脱け殻に止まっていたキアゲハがいきなり飛んできて、オラのむき出しの肩に止まったのです。驚きました。普通は人間を怖れて、遠くへ逃げることはあるのですが、いきなりオラの肩に止まるなんて。
しばらくじっとしていましたので、急いで奥さんを呼び、ケータイで写真に収めてもらいました。やがて写真を何枚か撮り終わるのを待って、キアゲハは、空高く飛んでいってしまいました。
奥さんいわく。
「そんな若い女性の方に、訪ねて来ていただきたいのですね?」
むむっ、何とも答えようがない! YesもNoも……。
夏が終われば… [生き物たちのつぶやき。]
一週間のご無沙汰の玉置宏さんどこではありません。まるで織姫と彦星のあいびきほどのご無沙汰でした。あまりのご無沙汰に、各方面からご心配やら納得やら驚嘆の声が聞かれました。
「この暑さだから、とうとうくたばったか」とか「前からどっかおかしかったけど、ヤツもとうとうヘンになってしまったか」とか「豪華客船で世界を巡り、美女たちに囲まれてウハウハ言ってんだろう」なんていう噂もチラホラ……。どれが真実かウソか言う必要もないでしょうけど、忙しい8月でした。
この8月、前半はバカみたいな暑さで、本当にバカになる寸前でしたが、なんとか踏みとどまりました。
実は夏休みの宿題が山ほどたまり、何としても月内に片づけなければならない羽目になったのです。
もう大変でした。昼は暑い中たっぷりと肉体を痛めつけられ、帰宅してからは眠い目をこすって宿題をこなし、朝はニワトリが叫ぶ前に起き上がって時の声をあげました。
「モーケッコーケッコー」
つらいものです。昼も夜も朝の勤めも。いえいえ、アッチのお勤めではありません。宿題の話です。アッチのお勤めは、近年かなりご無沙汰ですから……。
話がヤらしい内容になってしまいました。方向を戻しましょう。
でもね、死ぬほどの努力で?見事に宿題をこなしました。
この夏は暑さと大雨と、例年にない妙な天気続きで、体も付いて行けなかったんじゃないでしょうか。仕事仲間もダウンしたものも多く、皆さん悲鳴をあげていました。でも今ではオラの日常もどうにか平穏を取り戻し、朝は出勤前までぐっすりと休むことが出来ています。
じつは、奥さんは初孫が出来て、そちらの方へ手伝いに行ったきりでした。オラは慣れない炊事洗濯と身の回りのことを、自分で片づけなければならなかったので、てんやわんやの大騒動でした。でも、忙しくも充実した?夏でした。
もう季節は秋、まだそこまではいきませんでしょうが、何となく秋めいてきました。9月ですものね。早いです。
「夏がゆけば 恋も終わると あのひとはいつも言ってた リーフ リーフ……」なんて舟木一夫も歌ってたなぁ。(古い〜)
そろそろモチでもついて、松飾りの準備でもしなきゃ。凧あげ、羽根つきも楽しみ……。
そんなこんなで忙しくしている間にも、わが家の生きものたちは次々とオトナになっていきました。


キアゲハなどは、3回も羽化して数十頭が飛び立っていきました。でも、今年は安心と思っていたパセリの葉が食い尽くされて丸裸。まだ数頭が羽化を待っています。7分目も食べたら羽化してちょうだいね、と言いたいところですが、何ともかわいそうで……。


蛹化する時に帯がうまく体に巻けなくて、サナギが落っこちていました。もう、応急手当です。糸で体を支えてやって、お尻の部分は紙で支えています。居心地が悪いのか、ピクピクと動いていました。立派な蝶になるまでは、少し我慢してもらいましょう。
メダカは、うまく卵からふ化することが出来ました。15匹ぐらいはいるようです。まだまだ卵は生んでいますから、もっと数が増えるでしょう。器は、梅酒ビンです。取っ手が付いてて、持ち運びが楽です。親たちの水槽で卵が藻に産みつけられたら、すぐにここへ運びます。親たちの元では、ふ化しても小さ過ぎて餌になって食べられてしまいます。今年は、うまくいきましたね。おみごと〜!
見事なスイカ、と思ったら……。


8月半ばの豪雨で、スイカがことごとく割れてしまい、虫たちの餌になりました。割れ目にはアリたちが入り込んで、蜜を吸っていました。「うまかぁ〜」なんて言ってね。オラ、アリを育てたおぼえない!
Peeちゃんは、昼はずっとひとり暮らしでした。オラも奥さんもいない中、だいぶ暑さには参ったようです。


朝出かける時になると、オラの着替えを入れたバッグの中に入り込みます。こんなPeeちゃんを残しておくのは、ツラかった〜! ひとりになると、こんな風に窓の外をながめて暮らしていたんでしょうね。


得意の寝姿。オラのそばで寝る時には、安心するのでしょうか。いつもこんなイケナイ姿……。
千成瓢箪は読んで字のごとく、千ほども成りそうな気配です。
「この暑さだから、とうとうくたばったか」とか「前からどっかおかしかったけど、ヤツもとうとうヘンになってしまったか」とか「豪華客船で世界を巡り、美女たちに囲まれてウハウハ言ってんだろう」なんていう噂もチラホラ……。どれが真実かウソか言う必要もないでしょうけど、忙しい8月でした。
この8月、前半はバカみたいな暑さで、本当にバカになる寸前でしたが、なんとか踏みとどまりました。
実は夏休みの宿題が山ほどたまり、何としても月内に片づけなければならない羽目になったのです。
もう大変でした。昼は暑い中たっぷりと肉体を痛めつけられ、帰宅してからは眠い目をこすって宿題をこなし、朝はニワトリが叫ぶ前に起き上がって時の声をあげました。
「モーケッコーケッコー」
つらいものです。昼も夜も朝の勤めも。いえいえ、アッチのお勤めではありません。宿題の話です。アッチのお勤めは、近年かなりご無沙汰ですから……。
話がヤらしい内容になってしまいました。方向を戻しましょう。
でもね、死ぬほどの努力で?見事に宿題をこなしました。
この夏は暑さと大雨と、例年にない妙な天気続きで、体も付いて行けなかったんじゃないでしょうか。仕事仲間もダウンしたものも多く、皆さん悲鳴をあげていました。でも今ではオラの日常もどうにか平穏を取り戻し、朝は出勤前までぐっすりと休むことが出来ています。
じつは、奥さんは初孫が出来て、そちらの方へ手伝いに行ったきりでした。オラは慣れない炊事洗濯と身の回りのことを、自分で片づけなければならなかったので、てんやわんやの大騒動でした。でも、忙しくも充実した?夏でした。
もう季節は秋、まだそこまではいきませんでしょうが、何となく秋めいてきました。9月ですものね。早いです。
「夏がゆけば 恋も終わると あのひとはいつも言ってた リーフ リーフ……」なんて舟木一夫も歌ってたなぁ。(古い〜)
そろそろモチでもついて、松飾りの準備でもしなきゃ。凧あげ、羽根つきも楽しみ……。
そんなこんなで忙しくしている間にも、わが家の生きものたちは次々とオトナになっていきました。


キアゲハなどは、3回も羽化して数十頭が飛び立っていきました。でも、今年は安心と思っていたパセリの葉が食い尽くされて丸裸。まだ数頭が羽化を待っています。7分目も食べたら羽化してちょうだいね、と言いたいところですが、何ともかわいそうで……。


蛹化する時に帯がうまく体に巻けなくて、サナギが落っこちていました。もう、応急手当です。糸で体を支えてやって、お尻の部分は紙で支えています。居心地が悪いのか、ピクピクと動いていました。立派な蝶になるまでは、少し我慢してもらいましょう。
メダカは、うまく卵からふ化することが出来ました。15匹ぐらいはいるようです。まだまだ卵は生んでいますから、もっと数が増えるでしょう。器は、梅酒ビンです。取っ手が付いてて、持ち運びが楽です。親たちの水槽で卵が藻に産みつけられたら、すぐにここへ運びます。親たちの元では、ふ化しても小さ過ぎて餌になって食べられてしまいます。今年は、うまくいきましたね。おみごと〜!
見事なスイカ、と思ったら……。


8月半ばの豪雨で、スイカがことごとく割れてしまい、虫たちの餌になりました。割れ目にはアリたちが入り込んで、蜜を吸っていました。「うまかぁ〜」なんて言ってね。オラ、アリを育てたおぼえない!
Peeちゃんは、昼はずっとひとり暮らしでした。オラも奥さんもいない中、だいぶ暑さには参ったようです。


朝出かける時になると、オラの着替えを入れたバッグの中に入り込みます。こんなPeeちゃんを残しておくのは、ツラかった〜! ひとりになると、こんな風に窓の外をながめて暮らしていたんでしょうね。


得意の寝姿。オラのそばで寝る時には、安心するのでしょうか。いつもこんなイケナイ姿……。
千成瓢箪は読んで字のごとく、千ほども成りそうな気配です。
太陽の下、生きものたちは…。 [生き物たちのつぶやき。]
今年は、キアゲハたちが飛んできてはくれないのかと心配していましたが、前回記事のようにプランターのパセリの枝に沢山なって(?)くれました。
全部で15匹の幼虫たちが、思い思いの方向に散っていったようです。結構長い距離を歩いて行って、サナギとなる場所を見つけるようです。確認出来たのは3匹です。2階の屋根裏などに2匹、もう1匹は家まわりのフェンスにひっ付いていました。


日射しが強いので、段ボールで日よけを作ってあげました。
屋根裏まではかなりの距離ですが、他の幼虫たちはもっともっと遠くへ行って、サナギとなるにふさわしい安全な場所を見つけたのでしょう。


サナギの背中が割れ始めるところを見たかったのですが、日が昇ってからだいぶ時間が経過したようで、ごらんのような立派なキアゲハになっていました。近づいたら怖れて逃げてしまい、ヒメシャラの枝に止まって翅の乾くのを待っている様子でした。


残念なことに、水道の裏の方で翅が傷ついた、というよりも事故か奇形か片方の翅が縮んだままのキアゲハを見つけました。暑い太陽の下で必死で翅をパタつかせていたのですが、もちろん全く体が浮きません。今日で3日目、ガザニアの花に水を溜めてそこへ移してあげました。すると、丸まった口器を伸ばして水を吸い始めました。よほど水分が欲しかったのでしょう。でも夕方には死んでいました。短い一生でした。


キアゲハが巣立ったあと、スダチの枝にはアゲハチョウの幼虫が大きく育っていました。今朝には2匹とも姿が見えず、どこかでサナギになっているのでしょう。
不思議なものです。同じアゲハチョウの仲間でも、キアゲハの食草はパセリ科の植物。アゲハチョウはミカン科の植物です。食べ物の奪い合いにならないように、うまく出来ているのですね。人間とは違って……。


雑草ではありますが、カタバミを食草とするヤマトシジミ。スイカの花の蜜を吸っています。
家まわりの野菜たちも、徐々に実りを増やしています。



全部で15匹の幼虫たちが、思い思いの方向に散っていったようです。結構長い距離を歩いて行って、サナギとなる場所を見つけるようです。確認出来たのは3匹です。2階の屋根裏などに2匹、もう1匹は家まわりのフェンスにひっ付いていました。
日射しが強いので、段ボールで日よけを作ってあげました。
屋根裏まではかなりの距離ですが、他の幼虫たちはもっともっと遠くへ行って、サナギとなるにふさわしい安全な場所を見つけたのでしょう。

サナギの背中が割れ始めるところを見たかったのですが、日が昇ってからだいぶ時間が経過したようで、ごらんのような立派なキアゲハになっていました。近づいたら怖れて逃げてしまい、ヒメシャラの枝に止まって翅の乾くのを待っている様子でした。
残念なことに、水道の裏の方で翅が傷ついた、というよりも事故か奇形か片方の翅が縮んだままのキアゲハを見つけました。暑い太陽の下で必死で翅をパタつかせていたのですが、もちろん全く体が浮きません。今日で3日目、ガザニアの花に水を溜めてそこへ移してあげました。すると、丸まった口器を伸ばして水を吸い始めました。よほど水分が欲しかったのでしょう。でも夕方には死んでいました。短い一生でした。
キアゲハが巣立ったあと、スダチの枝にはアゲハチョウの幼虫が大きく育っていました。今朝には2匹とも姿が見えず、どこかでサナギになっているのでしょう。
不思議なものです。同じアゲハチョウの仲間でも、キアゲハの食草はパセリ科の植物。アゲハチョウはミカン科の植物です。食べ物の奪い合いにならないように、うまく出来ているのですね。人間とは違って……。

雑草ではありますが、カタバミを食草とするヤマトシジミ。スイカの花の蜜を吸っています。
家まわりの野菜たちも、徐々に実りを増やしています。
梅雨が明けて……。(84) [頭の痛〜い話]
当地は1週間ほど前に、梅雨明けしました。入りが遅かったので、ひと月とちょっとの間、雨のお世話になりました。でも今年の梅雨の雨は、期間が短かったにもかかわらず例年の2~3倍の降水量で、被害や避難区域も数多く出ました。
わが家の畑も散々な目に遭いました。順調に育っていたスイカが腐るし、強いはずのカボチャも然り。植物には、激し過ぎた雨でした。
また梅雨が明けたら明けたで、各地で熱中症で病院に搬送されること頻発し、史上最悪の昨年の数字の5倍にも達したそうです。
人間を含む動植物の生態系にも、いろいろと悪影響が出ているのでしょうね。
熊本気象台付近で昆虫などが初見や初鳴が観測された日付を見ると、ここ数年だんだんと遅くなってきています。どういうことなんでしょうか。
わが家でも、キアゲハの飛来を首を長~くして待っていた今年の春です。このキアゲハの気象台付近における初観測の日付を見ますと、一昨年が4月2日、昨年が4月17日、そして今年が4月25日となっています。年ごとに遅くなってきていますね。他にも、モンシロチョウ、シオカラトンボ、アブラゼミ、どれも同じような傾向です。日本列島が温暖化している状況を考えると、実に解せない現実です。
わが家のキアゲハ飛来準備は、完ぺきでした。昨年はエサとなるパセリが少なくて、急きょパセリ苗を購入して植えたり、スーパーでセロリやミツバを購入して食べさせたのですが、功を奏さず栄養不良のまま餓死させたりして、羽化までこぎ着けたのはほんの僅かでした。
今年はいくつものプランターにたっぷりとパセリを植え込み、満を持して待っていました。
ところが、いつになってもキアゲハは飛んできてくれません。気象台付近が4月25日に初見といいますから、まったくオラの家の周りにはやって来てくれなかったということになります。
ところが、7月の2日に、小さな黒い粒、ふ化したばかりの幼虫がパセリにくっついていました。その後時とともに数は増して、7月10日にはごらんの通り大豊作!?
サナギ直前の5齢の幼虫が15匹。数日前には、全員どこかへ出て行きました。サナギとして生まれ変わる場所を求めて、消えていきました。けっこう遠くまで這っていくものですが、2階の屋根の裏側に2匹のサナギがしっかりとぶら下がっているのが確認されました。いずれ立派な成蝶となって、再びパセリの元へやってくることを願っています。


虫のなる草…… スダチの葉についたアゲハチョウの幼虫
梅雨明けとともに、全国のあちこちから35、36度の気温が報告されてきます。しかしながら、各地の気象台の立地条件はさまざまです。わりと高台の緑の中にある気象台、または都市のまん中にある気象台。同じ気温が観測されても体感温度は異なると思います。湿度の高い所や低い所、風の有無、緑の中、様々な要因で暮らしにくさも増えるでしょう。
当地は、緑の中の涼しい場所に観測地があります。ですから、オラたちが仕事をしている住宅密集地の風の吹かない場所では、かなりの高温にはね上がっているはずです。何メートルも掘り下げ、風も吹く様子もない所、そして湿気がものすごい。ヤブ蚊の猛攻をも覚悟しなければならない。それに、かんかん照り。もう、最悪ですね。
先週の梅雨明け直後のかんかん照りは、最悪でした。体調不良を訴える者続出! 仲間のひとりが熱中症で病院に搬送されましたが、検査を進めたら、脳梗塞を起こしていることが判明し、大騒ぎとなりました。幸いにも大事には至らず、現在は療養中の身。
恐いですね。熱中症は、いきなりやって来ます。自分では意識がありませんので、周りに人がいなければ重大な結果になります。ただ、予兆というものがあります。手足がしびれたり、吊ったり、腹痛が始まったりなどの症状も現われたりします。
オラたちは、かんかん照りの中をほとんど一日、土を掘ったり運んだりの仕事です。熱中症の対策は、水分補給のみ。それに、近頃頻繁に宣伝される冷却剤や涼感剤やシート。
それに、蚊に好かれるタチなので、殺虫剤、蚊よけスプレー、蚊よけ芳香剤、かゆみ止めを常備。それでも毎日毎日献血しまくっていますよ。悔しいことに……。
さらにさらに、無駄だと思っていましたけど日焼け止めも愛用しています。SPF50の強力な紫外線ブロック。でもね、毎日毎日かんかん照りの下にいたんでは、たとえSPF50でも歯が立ちません。もう、麦わら帽子を被ったチョコレートが歩いているようなものです。
飲料水関係は、毎日6リットルの水分を運んでいます。


この中でも特に有効なものは、シャツクールです。(別にメーカーから頂いているわけじゃありません)汗をかいた背中や首筋に、いつまでもスースー感が残り、爽やかです。GATSBYのシートも同じく爽快。これで手足を拭けば、蚊よけの効果も期待出来ますね。
塩あめも普段食べないものですが、体が欲しがっているようです。実にうまいですね。体の塩分が汗とともに排出されているっていうことが、実感としてわかりますよ。腰の周りのズボンの布地には、カビが生えたように真っ白く塩分がひっついています。
いろいろと手を打って対策を講じてはいるのですが、やっぱり頭に這ったウジ虫の痕が汗と暑さで疼くのですよ。疼きの声が聞こえてきます。
「ん〜もぉ〜、あつか〜。このワシを帽子の中に閉じ込めて、蒸し焼きにする気かぁ〜!」
側頭から後頭部まで、長々と寝そべった姿を引っ掻いてやりたいっ。
そのうえ暑さでさらに平衡感覚はマヒ。酔っ払いの千鳥足で、何度土器を踏んづけて割ったことか。
でもそんな時は、空を見上げているような涼しい顔をして、さっと逃げるのです。もう、逃げ足だけは一人前。
でもね、あんがい、後ろから呼び止められていたのかもしれません。でもオラには、聞こえましぇ〜〜んよ〜!!!
わが家の畑も散々な目に遭いました。順調に育っていたスイカが腐るし、強いはずのカボチャも然り。植物には、激し過ぎた雨でした。
また梅雨が明けたら明けたで、各地で熱中症で病院に搬送されること頻発し、史上最悪の昨年の数字の5倍にも達したそうです。
人間を含む動植物の生態系にも、いろいろと悪影響が出ているのでしょうね。
熊本気象台付近で昆虫などが初見や初鳴が観測された日付を見ると、ここ数年だんだんと遅くなってきています。どういうことなんでしょうか。
わが家でも、キアゲハの飛来を首を長~くして待っていた今年の春です。このキアゲハの気象台付近における初観測の日付を見ますと、一昨年が4月2日、昨年が4月17日、そして今年が4月25日となっています。年ごとに遅くなってきていますね。他にも、モンシロチョウ、シオカラトンボ、アブラゼミ、どれも同じような傾向です。日本列島が温暖化している状況を考えると、実に解せない現実です。
わが家のキアゲハ飛来準備は、完ぺきでした。昨年はエサとなるパセリが少なくて、急きょパセリ苗を購入して植えたり、スーパーでセロリやミツバを購入して食べさせたのですが、功を奏さず栄養不良のまま餓死させたりして、羽化までこぎ着けたのはほんの僅かでした。
今年はいくつものプランターにたっぷりとパセリを植え込み、満を持して待っていました。
ところが、いつになってもキアゲハは飛んできてくれません。気象台付近が4月25日に初見といいますから、まったくオラの家の周りにはやって来てくれなかったということになります。
ところが、7月の2日に、小さな黒い粒、ふ化したばかりの幼虫がパセリにくっついていました。その後時とともに数は増して、7月10日にはごらんの通り大豊作!?
サナギ直前の5齢の幼虫が15匹。数日前には、全員どこかへ出て行きました。サナギとして生まれ変わる場所を求めて、消えていきました。けっこう遠くまで這っていくものですが、2階の屋根の裏側に2匹のサナギがしっかりとぶら下がっているのが確認されました。いずれ立派な成蝶となって、再びパセリの元へやってくることを願っています。


虫のなる草…… スダチの葉についたアゲハチョウの幼虫
梅雨明けとともに、全国のあちこちから35、36度の気温が報告されてきます。しかしながら、各地の気象台の立地条件はさまざまです。わりと高台の緑の中にある気象台、または都市のまん中にある気象台。同じ気温が観測されても体感温度は異なると思います。湿度の高い所や低い所、風の有無、緑の中、様々な要因で暮らしにくさも増えるでしょう。
当地は、緑の中の涼しい場所に観測地があります。ですから、オラたちが仕事をしている住宅密集地の風の吹かない場所では、かなりの高温にはね上がっているはずです。何メートルも掘り下げ、風も吹く様子もない所、そして湿気がものすごい。ヤブ蚊の猛攻をも覚悟しなければならない。それに、かんかん照り。もう、最悪ですね。
先週の梅雨明け直後のかんかん照りは、最悪でした。体調不良を訴える者続出! 仲間のひとりが熱中症で病院に搬送されましたが、検査を進めたら、脳梗塞を起こしていることが判明し、大騒ぎとなりました。幸いにも大事には至らず、現在は療養中の身。
恐いですね。熱中症は、いきなりやって来ます。自分では意識がありませんので、周りに人がいなければ重大な結果になります。ただ、予兆というものがあります。手足がしびれたり、吊ったり、腹痛が始まったりなどの症状も現われたりします。
オラたちは、かんかん照りの中をほとんど一日、土を掘ったり運んだりの仕事です。熱中症の対策は、水分補給のみ。それに、近頃頻繁に宣伝される冷却剤や涼感剤やシート。
それに、蚊に好かれるタチなので、殺虫剤、蚊よけスプレー、蚊よけ芳香剤、かゆみ止めを常備。それでも毎日毎日献血しまくっていますよ。悔しいことに……。
さらにさらに、無駄だと思っていましたけど日焼け止めも愛用しています。SPF50の強力な紫外線ブロック。でもね、毎日毎日かんかん照りの下にいたんでは、たとえSPF50でも歯が立ちません。もう、麦わら帽子を被ったチョコレートが歩いているようなものです。
飲料水関係は、毎日6リットルの水分を運んでいます。


この中でも特に有効なものは、シャツクールです。(別にメーカーから頂いているわけじゃありません)汗をかいた背中や首筋に、いつまでもスースー感が残り、爽やかです。GATSBYのシートも同じく爽快。これで手足を拭けば、蚊よけの効果も期待出来ますね。
塩あめも普段食べないものですが、体が欲しがっているようです。実にうまいですね。体の塩分が汗とともに排出されているっていうことが、実感としてわかりますよ。腰の周りのズボンの布地には、カビが生えたように真っ白く塩分がひっついています。いろいろと手を打って対策を講じてはいるのですが、やっぱり頭に這ったウジ虫の痕が汗と暑さで疼くのですよ。疼きの声が聞こえてきます。
「ん〜もぉ〜、あつか〜。このワシを帽子の中に閉じ込めて、蒸し焼きにする気かぁ〜!」
側頭から後頭部まで、長々と寝そべった姿を引っ掻いてやりたいっ。
そのうえ暑さでさらに平衡感覚はマヒ。酔っ払いの千鳥足で、何度土器を踏んづけて割ったことか。
でもそんな時は、空を見上げているような涼しい顔をして、さっと逃げるのです。もう、逃げ足だけは一人前。
でもね、あんがい、後ろから呼び止められていたのかもしれません。でもオラには、聞こえましぇ〜〜んよ〜!!!
雨が空から降れば…(2) [ささやかな風景]
六月も、矢の如く過ぎていきました。もう、その速さときたら例えようもなく、九州新幹線などはまるでカメの速度と思えるほどでした。このオラが駆けっこしても、とても追いつけません。なにもオラが駆けっこしなくても、追いつけない速さだと分かっていますが……。自慢じゃないが、幼い頃から駆けっこでは誰にも最下位を譲ったためしはありません。根性の脚力とでも言いましょうか。
雨、雨、雨の連続でした。地など固まるどころか、ゆるゆるです。たくさん降りました。当地でも記録的な雨量を計測し、崖崩れ等の被害もだいぶ出たもようです。
さらに、人命に関わる由々しき事態も発生しました。いえ、誰かが濁流に飲み込まれたということではありません。このオラが危機的な被害を被ったということです。
都々逸にもありました。
「◯◯殺すにゃ刃物は要らぬ~ 雨の3日も降ればよい~」
たっぷりと休暇を頂きましたよ。週休4日ですからね。休みなんて、もうイヤ~!!!
発掘の仕事は、雨が降っては出来ません。深く掘った溝の中で土砂崩れに遭い、そのまま生き埋めという事態を招きます。200年も経った後に、未来の発掘調査員に掘り出されるのが関の山でしょうか。
「おっ、見事な人骨、歴史的な大発見か!」な~んて言われるかどうか。きっと言われないでしょう。「なんじゃ~この馬の骨は」てな具合でしょうか。
小室等の歌。(前回参照)
~雨の日は しょうがない~
てな訳で、しょうが苗をたくさん植えたのですが、周りのオオバやオクラやかぼちゃの陰に隠れて、大きくなるスキがありません。奥の方でひっそりと生きています。


見分けがつかないでしょう。左がしょうが、右がみょうがです。同じしょうが科の植物です。


かぼちゃは雨の中でも元気です。もう15cm程度の大きさ。右のスイカは、5cmほど。


かぼちゃは、何個なっているか見当もつきません。いちじくの葉も青々として元気。


シマトネリコの花は、雨の中で満開。スダチは、実を落としてしまって残りがあまりありません。
大好きなネジバナを見つけました。家に持ち帰って鉢植えにしてみました。野性に残しておきたかったのですが、なによりも大好きな花なので、つい自宅まで連れて帰りました。ほおずきも、何ともいえない味があって大好きです。口の中に含んで鳴らした幼い頃を思い出します。
雨、雨、雨の連続でした。地など固まるどころか、ゆるゆるです。たくさん降りました。当地でも記録的な雨量を計測し、崖崩れ等の被害もだいぶ出たもようです。
さらに、人命に関わる由々しき事態も発生しました。いえ、誰かが濁流に飲み込まれたということではありません。このオラが危機的な被害を被ったということです。
都々逸にもありました。
「◯◯殺すにゃ刃物は要らぬ~ 雨の3日も降ればよい~」
たっぷりと休暇を頂きましたよ。週休4日ですからね。休みなんて、もうイヤ~!!!
発掘の仕事は、雨が降っては出来ません。深く掘った溝の中で土砂崩れに遭い、そのまま生き埋めという事態を招きます。200年も経った後に、未来の発掘調査員に掘り出されるのが関の山でしょうか。
「おっ、見事な人骨、歴史的な大発見か!」な~んて言われるかどうか。きっと言われないでしょう。「なんじゃ~この馬の骨は」てな具合でしょうか。
小室等の歌。(前回参照)
~雨の日は しょうがない~
てな訳で、しょうが苗をたくさん植えたのですが、周りのオオバやオクラやかぼちゃの陰に隠れて、大きくなるスキがありません。奥の方でひっそりと生きています。
見分けがつかないでしょう。左がしょうが、右がみょうがです。同じしょうが科の植物です。
かぼちゃは雨の中でも元気です。もう15cm程度の大きさ。右のスイカは、5cmほど。
かぼちゃは、何個なっているか見当もつきません。いちじくの葉も青々として元気。
シマトネリコの花は、雨の中で満開。スダチは、実を落としてしまって残りがあまりありません。
雨が空から降れば… [ささやかな風景]
http://youtu.be/bF0R6SBG174
「雨が空から降れば」 別役実/詞 小室等/曲
北部九州もこの6日、やっと梅雨に入りました。この地だけが他よりも入梅が遅れていたなんて不思議な気もしますが、うっとうしさが遠ざかればいいことにこしたことはありません。
雨が空から降れば……。
当然に発掘の仕事は中止になり、メシの食い上げになります。今週はすでに3日も雨休日になりました。
しょうがない、雨の日はしょうがない……。
日中の日射しで、すでにこの美しき肉体はまっ黒け。腕はまるでチョコレート色。勘違いしたアリが近寄って舐め始めるほどです。
仕方ありませんね。朝から晩までスコップで土掘り。照りつける太陽の光をフルに浴びていますから、黒くなるのも当然です。植物なら太陽の光をうまく利用して光合成をくり返し、美味しい実りを付けることが出来るのですが、このオラの場合は何にも実がなりません。でもなぁ、胸の辺りからあっちこっちにボインらしきものがぶら下がっていたら、ちと気持ち悪いだろうなぁ。
それとも一日中太陽光を浴びているのだから、ソーラーパネルを背負って発電でもいたしましょうか。電力も不足していることだし。こりゃ、名案バイ。東京電力に、売電したい!
せっかくの休みなのだから家の中でじっとして、節々が悲鳴を上げている体の養生に努めればいいものを、雨の合間を狙って畑の土を耕しに出かけます。どうも土に魅入られたようで、土から離れると不安で仕方なありません。ヤクが切れた中毒患者のように震えがやって来ます。
ン? オラの場合は、単なる貧乏ゆすりかもしれません。
そう、思い出します、いつの日だったか。
オラが青雲の志を抱いて江戸に上った頃でした。山手線なる電車に乗ってボ〜っと思案に暮れているその時でした。
突然の出来事です。
「おやめなさいっ!」
と、オラの太ももを遠慮会釈もなくピシャリと平手打ちをした方がおられました。
不意を食らって、何のことやら飲み込めずにいるオラの太ももを指差して、隣に座っていた中年のオバさんが、怒りの顔でオラを睨みつけていました。
オラがやっと事情を飲み込んだ時には、そのオバさんはプイと席を立ってどっかへ行ってしまいました。
思えば、オラの貧乏ゆすりにも歴史があるなぁ〜。今じゃ、「ゆすり」だけが消えてなくなってしまったが……。
おっとっと、話が逸れました。
雨が降っていない時を見計らって、オラはスコップを担いで畑に出かけます。そして、草むしりだの苗の植え替えだのに精を出します。
今年は雨や日照りや虫たちにも充分気を配っていますから、苗たちは順調に育っていますよ。収穫したら、市場に運ぼうかと思っているくらいですから。
コスト低減。使ったものを再利用!
去年食った甘〜いスイカのタネ。苦〜くて美味しいゴーヤのタネ。オオバ(青シソ)のタネ。かぼちゃ、ぎんなん、さらに、高価なマンゴーのタネ。今年のために乾燥させて大事に取っておきました。
そのタネたちが小分けしたポットの中で、こぞって芽を吹き出しました。もう、苗だらけ〜。
市民農園の畑は、トマトやナス、きゅうり、おくら、ししとう、しょうがなどの苗で満タンになりましたので、家の周りの空き地を掘り起こし、堆肥や腐葉土を加えてにわか菜園に仕立て上げました。
もう、家の周りは苗だらけ。今じゃその苗も大きく育ち、かぼちゃやスイカのツルが延び放題で、ついにフェンスによじ上ってしまいました。ま、オラっちのフェンスだから、苦情も出まい。なるように放っておいています。
ゴーヤなどは、やがて緑のカーテンの役目をしてくれるでしょうから、楽しみです。夏休みの頃には、家の周りにスイカやらかぼちゃやらがゴロゴロと転がっていることでしょう。けつまずいて、ひっくり返らないように注意をしなければなりません。



かぼちゃ、ゴーヤ、スイカのツルが勢いよく延びています。



トマト、かぼちゃ、スイカの実がかわいいです。



かぼちゃの勢いは止まりません。オオバはいたる所で葉を広げています。



雨の日は、しょうが苗、な〜んちゃって。スイカ苗もいたる所に。フキなども植えてみました。



ハムシがかぼちゃの花を食いまくっています。右は、昨年食ったマンゴー。






勢いついでに、うめ、いちぢく、ざくろ、すだち、レモンなども植えてしまいました。
雨がしとしと降れば……。
そして、縫い目がチクチクと疼きます。
カサブタをこそげるように、指先でカサカサと縫い目をつつきます。
ちと痛い。気持ちい〜んだか悪いんだかわかりませんが、病みつきになって頭からダラダラと血を流す前にいいところで止めておきましょう。
今も激しい雨が降っていますが、オラの田舎っぺ村の人たちはどうしているか。目に見えない放射能が、善良な人たちをいじめ回っています。
コマッタネ〜!
「雨が空から降れば」 別役実/詞 小室等/曲
北部九州もこの6日、やっと梅雨に入りました。この地だけが他よりも入梅が遅れていたなんて不思議な気もしますが、うっとうしさが遠ざかればいいことにこしたことはありません。
雨が空から降れば……。
当然に発掘の仕事は中止になり、メシの食い上げになります。今週はすでに3日も雨休日になりました。
しょうがない、雨の日はしょうがない……。
日中の日射しで、すでにこの美しき肉体はまっ黒け。腕はまるでチョコレート色。勘違いしたアリが近寄って舐め始めるほどです。
仕方ありませんね。朝から晩までスコップで土掘り。照りつける太陽の光をフルに浴びていますから、黒くなるのも当然です。植物なら太陽の光をうまく利用して光合成をくり返し、美味しい実りを付けることが出来るのですが、このオラの場合は何にも実がなりません。でもなぁ、胸の辺りからあっちこっちにボインらしきものがぶら下がっていたら、ちと気持ち悪いだろうなぁ。
それとも一日中太陽光を浴びているのだから、ソーラーパネルを背負って発電でもいたしましょうか。電力も不足していることだし。こりゃ、名案バイ。東京電力に、売電したい!
せっかくの休みなのだから家の中でじっとして、節々が悲鳴を上げている体の養生に努めればいいものを、雨の合間を狙って畑の土を耕しに出かけます。どうも土に魅入られたようで、土から離れると不安で仕方なありません。ヤクが切れた中毒患者のように震えがやって来ます。
ン? オラの場合は、単なる貧乏ゆすりかもしれません。
そう、思い出します、いつの日だったか。
オラが青雲の志を抱いて江戸に上った頃でした。山手線なる電車に乗ってボ〜っと思案に暮れているその時でした。
突然の出来事です。
「おやめなさいっ!」
と、オラの太ももを遠慮会釈もなくピシャリと平手打ちをした方がおられました。
不意を食らって、何のことやら飲み込めずにいるオラの太ももを指差して、隣に座っていた中年のオバさんが、怒りの顔でオラを睨みつけていました。
オラがやっと事情を飲み込んだ時には、そのオバさんはプイと席を立ってどっかへ行ってしまいました。
思えば、オラの貧乏ゆすりにも歴史があるなぁ〜。今じゃ、「ゆすり」だけが消えてなくなってしまったが……。
おっとっと、話が逸れました。
雨が降っていない時を見計らって、オラはスコップを担いで畑に出かけます。そして、草むしりだの苗の植え替えだのに精を出します。
今年は雨や日照りや虫たちにも充分気を配っていますから、苗たちは順調に育っていますよ。収穫したら、市場に運ぼうかと思っているくらいですから。
コスト低減。使ったものを再利用!
去年食った甘〜いスイカのタネ。苦〜くて美味しいゴーヤのタネ。オオバ(青シソ)のタネ。かぼちゃ、ぎんなん、さらに、高価なマンゴーのタネ。今年のために乾燥させて大事に取っておきました。
そのタネたちが小分けしたポットの中で、こぞって芽を吹き出しました。もう、苗だらけ〜。
市民農園の畑は、トマトやナス、きゅうり、おくら、ししとう、しょうがなどの苗で満タンになりましたので、家の周りの空き地を掘り起こし、堆肥や腐葉土を加えてにわか菜園に仕立て上げました。
もう、家の周りは苗だらけ。今じゃその苗も大きく育ち、かぼちゃやスイカのツルが延び放題で、ついにフェンスによじ上ってしまいました。ま、オラっちのフェンスだから、苦情も出まい。なるように放っておいています。
ゴーヤなどは、やがて緑のカーテンの役目をしてくれるでしょうから、楽しみです。夏休みの頃には、家の周りにスイカやらかぼちゃやらがゴロゴロと転がっていることでしょう。けつまずいて、ひっくり返らないように注意をしなければなりません。
かぼちゃ、ゴーヤ、スイカのツルが勢いよく延びています。
トマト、かぼちゃ、スイカの実がかわいいです。
かぼちゃの勢いは止まりません。オオバはいたる所で葉を広げています。
雨の日は、しょうが苗、な〜んちゃって。スイカ苗もいたる所に。フキなども植えてみました。
ハムシがかぼちゃの花を食いまくっています。右は、昨年食ったマンゴー。
勢いついでに、うめ、いちぢく、ざくろ、すだち、レモンなども植えてしまいました。
雨がしとしと降れば……。
そして、縫い目がチクチクと疼きます。
カサブタをこそげるように、指先でカサカサと縫い目をつつきます。
ちと痛い。気持ちい〜んだか悪いんだかわかりませんが、病みつきになって頭からダラダラと血を流す前にいいところで止めておきましょう。
今も激しい雨が降っていますが、オラの田舎っぺ村の人たちはどうしているか。目に見えない放射能が、善良な人たちをいじめ回っています。
コマッタネ〜!
それを言っちゃぁ、おしまいよ! [番外編]
伊達正宗62万石の城下町、仙台市。東北地方の中心都市、杜の都としても有名です。
オラの住むこの熊本市も森の都として名を馳せていますが、正直言ってその緑の度合い、スケールの大きさではかなりの違いがあります。町づくりもややせせこましい感じがするほど道路も狭く、不規則に曲がりくねっています。
仙台市は、伊達政宗の御廟所瑞鳳殿や青葉城、そこへ至るまでの街路樹などどれをとっても雄大で、見る者を圧倒するほど奥の深さがあります。
「おぬし、血迷うたか!」
オラたちが小学生時代には、修学旅行先として仙台市が定着していました。今でもきっとそうでしょう。
距離的にも手頃で、歴史的遺物が豊富。社会科の授業にはもってこいの都市でした。逆に仙台市にとっても同様の理由で、福島県の会津若松市が旅行先に選ばれていました。
ところがこの5月2日、仙台市の小学校のほとんどに当たる96校が、修学旅行先として当初予定していた会津若松市から他の都市に変更していたことがわかりました。仙台市と会津若松市は福島第1原発までの距離がほぼ同じの100キロ。教育委員会は、父兄たちの心配を考慮して各校の判断で変更したと説明していますけど、こんな時こそ子どもたちに科学的真実をとことん説明して欲しかったですね。
教育委員会では父兄の声と言って逃げていますが、後になってからの責任問題を気にしているようで、いわゆる無責任な結論に堕してしまったような気がします。
悲しいことですね。
仙台市だって、今度の震災では多大な被害を受けているはずです。その当事者が、当事者同士で助け合わなければならないはずなのに、くだらぬ風評に負けてしまいました。震災で傷を負ったもの同士、相手の痛みがわかるはずです。それなのに相手を助けるどころか、足蹴にして自分はのほほんとしている。何とまぁ安易な結論を出してしまいました。
故郷(に近い)のとなり町という存在、この仙台市たるものが、こんな発想で子どもたちの教育を担っているとは思ってもみませんでした。
「学都仙台」「楽都仙台」が泣きます。
会津若松市は歴史の渦中で必死に生きてきました。この苦難の時に、足蹴にする仙台市の態度は全く解せません。
仙台市は女性市長です。女性特有のやさしさをもって対処出来るはずです。そういうところが望まれて首長になったはずなのに。
この決定を撤回する余裕はまだまだ残されていますから、なんとか先の決定を翻して欲しいものです……。
【とんぼ玉紹介】


細胞分裂玉!? 少し下に垂れた感じにしてみました。
Peeちゃんは相変わらず居眠り。
オラの専用椅子を横取りしたまま、返してくれません。
仕方なく居心地の悪い椅子を使っています。
一句、ととのいました。
Peeちゃんに
つるべとられて
もらいみず
(盗作)

スノーフレーク。
かつて住んでいた所からの引越し移植。相変わらず、かわいく咲いてくれました。
オラの住むこの熊本市も森の都として名を馳せていますが、正直言ってその緑の度合い、スケールの大きさではかなりの違いがあります。町づくりもややせせこましい感じがするほど道路も狭く、不規則に曲がりくねっています。
仙台市は、伊達政宗の御廟所瑞鳳殿や青葉城、そこへ至るまでの街路樹などどれをとっても雄大で、見る者を圧倒するほど奥の深さがあります。
「おぬし、血迷うたか!」
オラたちが小学生時代には、修学旅行先として仙台市が定着していました。今でもきっとそうでしょう。
距離的にも手頃で、歴史的遺物が豊富。社会科の授業にはもってこいの都市でした。逆に仙台市にとっても同様の理由で、福島県の会津若松市が旅行先に選ばれていました。
ところがこの5月2日、仙台市の小学校のほとんどに当たる96校が、修学旅行先として当初予定していた会津若松市から他の都市に変更していたことがわかりました。仙台市と会津若松市は福島第1原発までの距離がほぼ同じの100キロ。教育委員会は、父兄たちの心配を考慮して各校の判断で変更したと説明していますけど、こんな時こそ子どもたちに科学的真実をとことん説明して欲しかったですね。
教育委員会では父兄の声と言って逃げていますが、後になってからの責任問題を気にしているようで、いわゆる無責任な結論に堕してしまったような気がします。
悲しいことですね。
仙台市だって、今度の震災では多大な被害を受けているはずです。その当事者が、当事者同士で助け合わなければならないはずなのに、くだらぬ風評に負けてしまいました。震災で傷を負ったもの同士、相手の痛みがわかるはずです。それなのに相手を助けるどころか、足蹴にして自分はのほほんとしている。何とまぁ安易な結論を出してしまいました。
故郷(に近い)のとなり町という存在、この仙台市たるものが、こんな発想で子どもたちの教育を担っているとは思ってもみませんでした。
「学都仙台」「楽都仙台」が泣きます。
会津若松市は歴史の渦中で必死に生きてきました。この苦難の時に、足蹴にする仙台市の態度は全く解せません。
仙台市は女性市長です。女性特有のやさしさをもって対処出来るはずです。そういうところが望まれて首長になったはずなのに。
この決定を撤回する余裕はまだまだ残されていますから、なんとか先の決定を翻して欲しいものです……。
【とんぼ玉紹介】


細胞分裂玉!? 少し下に垂れた感じにしてみました。
Peeちゃんは相変わらず居眠り。オラの専用椅子を横取りしたまま、返してくれません。
仕方なく居心地の悪い椅子を使っています。
一句、ととのいました。
Peeちゃんに
つるべとられて
もらいみず
(盗作)

スノーフレーク。
かつて住んでいた所からの引越し移植。相変わらず、かわいく咲いてくれました。
福島のお酒 [番外編]
お酒を口に含んだ時の感想は……。
「わしゃ酒だけん、早うどかんかい!」などと言って口の中にドカドカと入ってくる──。
当地の酒と東北の酒の違いを尋ねられた時、言葉は乱暴だけどいつもこう答えます。
当地の酒は、口に入った途端にこう叫びながら、アルコールというものの存在感を目いっぱい誇示します。それに比べて東北の酒は、静かに舌のうえに乗って、咽を通る時になって初めてその存在感を示します。フルーティな香りとともに、微妙な奥ゆかしい味を咽の奥に残していきます。あくまでも奥ゆかしく、目立たぬように。
お酒をたしなまれる方ならば、両者の違いがよく分かると思います。人それぞれ好みがあるでしょうから、どちらがいいとは言えませんが、風土や気質の違いから、それぞれご当地独特の食文化が色濃く現われて楽しいものです。
東北人は人の前に立つのが苦手である──このことはよく言われることですが、実際は巷間で言われている以上にはにかみ度がひどいかもしれません。このオラだって、花のお江戸に上りたての頃、瓦版の訪問勧誘に断ることが出来なくて、けっきょく4社の瓦版を購読する羽目になってしまいました。後になって毎月の購読料を支払うことと、購読中止を申し出ることに四苦八苦しました。実に見上げた奥ゆかしさというか、純粋なる田舎っぺ魂というか、あえてどちらとは言いませんが、人の申し出を断るなどという大それたことなど出来なかったわけです。
ま、不幸中の幸いと申しますか、毎日毎日瓦版の隅っこから隅っこまで読みふけっていましたので、このオツムに知識が蓄えられ過ぎて頭が2倍ほどに膨れ上がりました。お堅~いことから、ヤらしいことまで、さらにどこまでもヤらしいことまで、まさにウォーキングディクショナリーとはこのオラのことだべな、なんて思ったりもしました。
話は逸れましたが、今日のネットニュースに「福島の酒 全国からの注文が増加…」という記事が載っていました。
実に素晴らしいことです。
この震災の後、福島県に対する風評被害があまりにも多過ぎます。それも、科学的根拠に欠ける実にバカバカしいことばかり。同じ人間として、よくもそんな馬鹿げた差別が出来るものだと不思議に思うことばかりです。
じっさい、困っていますね。農業や漁業に従事される方々、明日の計画が全く立ちません。タネを蒔こうにも、苗を植えようにも、漁に出ようにも、消費者が購入してくれるのかどうかも分からないままの状況下、また国から突然の栽培禁止令が出るかもしれない、この先この状態が何年続くのかそんな難題が続く中での風評被害です。実にバカバカしく、陰湿ですね。イジメにイジメを重ねるようなものです。
風光明媚な会津地方は静かな城下町、観光客も多く味わいのある街です。ここには歴史的遺産も多く修学旅行の目的地として人気があります。しかし、今年の震災以後、原発の報道もあって旅行のキャンセルが相次ぎ、九十数パーセントの旅行中止があったとか聞いています。
え~、なんで? と問いたいです。なんで会津が放射能の被害に遭わなきゃならないの?
まったく微々たる放射線量のせいです。会津は原発からず~っと離れていますよ。こんな心配よりも、大都会に漂う排ガスの方がはるかに深刻です。
どこまでも徳川家に忠実に、貧乏くじだと分かっていても敢えてそれを引き、徳川慶喜がいち抜~けた、なんて言って会津を見殺しにしてからも徳川の罪を一身に背負って戦い続けました。結果、政府軍(薩摩、長州)から悲惨な殺戮、略奪・暴行などを受けました。新政府になってからも、陰湿なイジメを受け続けました。それでもくじけなかった会津人は、そして会津地方は、本当に素晴らしいところなのですよ。
かつて司馬遼太郎が言いました。
「日本の歴史の中でこれほどに悲惨な目に遭ったところは、他にあるだろうか──」
(※興味のある方にはお勧めします。「ある明治人の記録──会津人柴五郎の遺書」中公新書 石光真人編)
この会津地方も含めて、福島県には日本酒の醸造元が実に多いです。それは良質の水と米を産出するからでしょうね。
日本酒は、いいものですね。これほどに奥の深い飲み物は、ないでしょう。この芳醇な液体を口に含むと、世界が一変します。
♪や~がて こころうきうき とっても不思議そのムード
たちまちおとこは わかい娘に恋をする──
西田佐知子「コーヒールンバ」ではこのように歌われていますが、日本酒だってそうなんです。ある時には飲んだ人を風流人に仕立て上げ、またある時には哲学者に、またある時には恋物語のヒロインに。
このオラだってそうですよ。ま、今では当地や薩摩の芋焼酎にうつつを抜かして、裸踊りのどんちゃん騒ぎをやっておりますが……。時折、パンツの隙間から少し疲れが見え始めたセガレが顔を出して「お父つぁん、もう恥ずかしかけん、早う服ば着て~」なんてお叱りを受けております。
でも、日本酒ではこんな醜態は晒しません。実に奥ゆかしい、風流を愛する初老の紳士そのもので、着流しで杯を手にもつ姿などは、我ながらウットリとするほどです。(かなり言い過ぎのようです。気にせずに…)
いいものですよ、日本酒は。
うつくしまふくしまの酒は──。
福島には、数多くの醸造元があります。銘柄も多く、味も例のごとくおしとやかで奥ゆかしいものです。このネットニュースのように、次から次と注文が相次いで、福島の酒が愛されていくことを願っています。
銘柄は列挙出来ないほどの数があります。
よく知られた名前としては、喜多方市の「会津ほまれ」、会津若松市の「榮川」「花春」、二本松市の「大七」、郡山市の「笹の川」などがありますが、オラはこれに加えてにごり酒が大変好きで愛飲しております。会津若松市「名倉山原蔵にごり」、「大七にごり」、猪苗代町「稲川にごり酒」などなどですが、どれもこれも甲乙つけがたい味ですね。どうぞ皆さんの舌でお確かめ下さい。
(ここで誤解のないように言っておきますが、オラは福島県酒造組合の回し者ではありません。単なる酒好きの、ときどきヤらしくなるオッサンです。)


「わしゃ酒だけん、早うどかんかい!」などと言って口の中にドカドカと入ってくる──。
当地の酒と東北の酒の違いを尋ねられた時、言葉は乱暴だけどいつもこう答えます。
当地の酒は、口に入った途端にこう叫びながら、アルコールというものの存在感を目いっぱい誇示します。それに比べて東北の酒は、静かに舌のうえに乗って、咽を通る時になって初めてその存在感を示します。フルーティな香りとともに、微妙な奥ゆかしい味を咽の奥に残していきます。あくまでも奥ゆかしく、目立たぬように。
お酒をたしなまれる方ならば、両者の違いがよく分かると思います。人それぞれ好みがあるでしょうから、どちらがいいとは言えませんが、風土や気質の違いから、それぞれご当地独特の食文化が色濃く現われて楽しいものです。
東北人は人の前に立つのが苦手である──このことはよく言われることですが、実際は巷間で言われている以上にはにかみ度がひどいかもしれません。このオラだって、花のお江戸に上りたての頃、瓦版の訪問勧誘に断ることが出来なくて、けっきょく4社の瓦版を購読する羽目になってしまいました。後になって毎月の購読料を支払うことと、購読中止を申し出ることに四苦八苦しました。実に見上げた奥ゆかしさというか、純粋なる田舎っぺ魂というか、あえてどちらとは言いませんが、人の申し出を断るなどという大それたことなど出来なかったわけです。
ま、不幸中の幸いと申しますか、毎日毎日瓦版の隅っこから隅っこまで読みふけっていましたので、このオツムに知識が蓄えられ過ぎて頭が2倍ほどに膨れ上がりました。お堅~いことから、ヤらしいことまで、さらにどこまでもヤらしいことまで、まさにウォーキングディクショナリーとはこのオラのことだべな、なんて思ったりもしました。
話は逸れましたが、今日のネットニュースに「福島の酒 全国からの注文が増加…」という記事が載っていました。
実に素晴らしいことです。
この震災の後、福島県に対する風評被害があまりにも多過ぎます。それも、科学的根拠に欠ける実にバカバカしいことばかり。同じ人間として、よくもそんな馬鹿げた差別が出来るものだと不思議に思うことばかりです。
じっさい、困っていますね。農業や漁業に従事される方々、明日の計画が全く立ちません。タネを蒔こうにも、苗を植えようにも、漁に出ようにも、消費者が購入してくれるのかどうかも分からないままの状況下、また国から突然の栽培禁止令が出るかもしれない、この先この状態が何年続くのかそんな難題が続く中での風評被害です。実にバカバカしく、陰湿ですね。イジメにイジメを重ねるようなものです。
風光明媚な会津地方は静かな城下町、観光客も多く味わいのある街です。ここには歴史的遺産も多く修学旅行の目的地として人気があります。しかし、今年の震災以後、原発の報道もあって旅行のキャンセルが相次ぎ、九十数パーセントの旅行中止があったとか聞いています。
え~、なんで? と問いたいです。なんで会津が放射能の被害に遭わなきゃならないの?
まったく微々たる放射線量のせいです。会津は原発からず~っと離れていますよ。こんな心配よりも、大都会に漂う排ガスの方がはるかに深刻です。
どこまでも徳川家に忠実に、貧乏くじだと分かっていても敢えてそれを引き、徳川慶喜がいち抜~けた、なんて言って会津を見殺しにしてからも徳川の罪を一身に背負って戦い続けました。結果、政府軍(薩摩、長州)から悲惨な殺戮、略奪・暴行などを受けました。新政府になってからも、陰湿なイジメを受け続けました。それでもくじけなかった会津人は、そして会津地方は、本当に素晴らしいところなのですよ。
かつて司馬遼太郎が言いました。
「日本の歴史の中でこれほどに悲惨な目に遭ったところは、他にあるだろうか──」
(※興味のある方にはお勧めします。「ある明治人の記録──会津人柴五郎の遺書」中公新書 石光真人編)
この会津地方も含めて、福島県には日本酒の醸造元が実に多いです。それは良質の水と米を産出するからでしょうね。
日本酒は、いいものですね。これほどに奥の深い飲み物は、ないでしょう。この芳醇な液体を口に含むと、世界が一変します。
♪や~がて こころうきうき とっても不思議そのムード
たちまちおとこは わかい娘に恋をする──
西田佐知子「コーヒールンバ」ではこのように歌われていますが、日本酒だってそうなんです。ある時には飲んだ人を風流人に仕立て上げ、またある時には哲学者に、またある時には恋物語のヒロインに。
このオラだってそうですよ。ま、今では当地や薩摩の芋焼酎にうつつを抜かして、裸踊りのどんちゃん騒ぎをやっておりますが……。時折、パンツの隙間から少し疲れが見え始めたセガレが顔を出して「お父つぁん、もう恥ずかしかけん、早う服ば着て~」なんてお叱りを受けております。
でも、日本酒ではこんな醜態は晒しません。実に奥ゆかしい、風流を愛する初老の紳士そのもので、着流しで杯を手にもつ姿などは、我ながらウットリとするほどです。(かなり言い過ぎのようです。気にせずに…)
いいものですよ、日本酒は。
うつくしまふくしまの酒は──。
福島には、数多くの醸造元があります。銘柄も多く、味も例のごとくおしとやかで奥ゆかしいものです。このネットニュースのように、次から次と注文が相次いで、福島の酒が愛されていくことを願っています。
銘柄は列挙出来ないほどの数があります。
よく知られた名前としては、喜多方市の「会津ほまれ」、会津若松市の「榮川」「花春」、二本松市の「大七」、郡山市の「笹の川」などがありますが、オラはこれに加えてにごり酒が大変好きで愛飲しております。会津若松市「名倉山原蔵にごり」、「大七にごり」、猪苗代町「稲川にごり酒」などなどですが、どれもこれも甲乙つけがたい味ですね。どうぞ皆さんの舌でお確かめ下さい。
(ここで誤解のないように言っておきますが、オラは福島県酒造組合の回し者ではありません。単なる酒好きの、ときどきヤらしくなるオッサンです。)
うつくしま「ふくしま」への差別。 [番外編]
ものごとが起きたとき、必ず原因と結果というものが存在します。しかるべき原因があったからこそ、しかるべき結果が生まれます。原因なくして結果が生まれた、そんな馬鹿げたことはこの世にはあり得ません。
うつくしまふくしま───。オラが生まれ育った福島県は、いま瀕死の重傷を負っております。美しかった山も川も海も、いやそればかりではありません。水も土も空気も農作物も魚介類も、あらゆる存在が心ない人の手によって窮地に追いやられています。緑豊かな大自然の恵みをたっぷりと受けて育った人々の心も体も、また然りです。自然も人間も、もう立ち上がれないほどの傷を負ってしまいました。いったい何がそこまで追いつめたのでしょうか。
(DASH村も、放射能に汚染されてしまいました。理想を目ざして開拓された村は、やがて廃村になるでしょう。村民もスタッフも動物たちも、避難しました。それこそ、想定外の結果になってしまいました。)
原発は安全です。空気や地球を汚さない未来のエネルギーです。東電は何度もくり返しました。地域住民には、安全だ安全だとしつこくくり返し、わざわざ東京から離れた他所の県に基地を作りました。
過去に30数メートルの大津波がこの東北の地を襲った事実を知りながら、津波対策としての防波堤を5.5メートルの高さで間に合わせたこのいい加減さ、これでよくも「想定外の出来事」などと言えたものです。こんなことで地域を守れると思ったのでしょうか。安全が確保されると思ったのでしょうか。いえ、最初から地元住民の安全を守るなどという意識はなかったのです。利益率が最も高い、つまり水力や火力や風力や太陽熱による発電よりも経費がはるかに安く済む原発事業を、やみくもに推進しました。
それにしてもこの東電という会社は、いわく付きの会社です。これまでにトラブル隠しで、何度も県民をあざむいてきました。2002年の原発トラブルの隠ぺい事件、2009年の発電設備における法定検査のデータ改ざん。今回のトラブル直後にも、正確な状況を発表することもなく、悪化する現場の深刻な現実をひた隠しにしてきました。
この東電は、過去に何度もトラブルがあったにもかかわらず、その事実を隠し続けました。福島第一、第二、柏崎刈羽発電所の計13基地において、1980~90年代にかけて、部品ひび割れなどのトラブル隠しが29件もありました。
2002年には、東電のトラブル隠しを内部告発するファクスが県庁に届いたにもかかわらず、保安院は2年もの間この事実の調査を行わず、その上に告発の内容を東電側に密告するという信じられないような行動を取りました。
こんな経歴を持った東電が、はたして住民の安全を考えていたとは思えません。その時の事実開示の請求に対しても、東電側は非協力的な態度で終始し、事実の隠ぺいや隠滅を図りました。地元自治体や住民を無視し続けた東電の陰で、ひたすら原発推進の旗を振り続けた当時の政府や経産省の責任も大変に重いものです。
つい最近では、東電役員の大半が前政権の自民党に対して政治献金を続けて事業推進をやりやすくしたとか、原発擁護の東大教授に5億円の研究費を渡していたとか、原子力安全委員会は東電から研究費をたんまりと頂いていた東大閥の原子力研究者の引退組で構成されているとか、経産省の天下り官僚が続々と東電に流れているとか、そんなニュースが次々と上がってきました。もうそこには地域住民などはまったく入り込むことの出来ない密室となってしまいました。沖縄返還時の日米間の密約のように、国民をあざむいた不正な取引が次々と明るみに出てきました。
TVで「安全」を強調した某教授は、いったいどういう心境なんでしょうか。東電の社長同様に、痛みが我が身に及ばないからそんなことを言えるのでしょうか。
毎日毎日、原発に関するニュースは深刻さを増しています。そして、風評被害──。
正直言って、とりあえず明日、明後日の生活の心配がない住民が、自分のことだけを考えて買い占めに走ったということは、実に悲しい出来事でした。日本を、いえ世界を代表するような大都会の住民が、です。そんなに自分のことしか考えられないようなエゴの塊だったとは、考えるに悲しい事実です。
野菜も魚も牛乳も肉も、福島県産のあらゆる食べ物が風評被害に遭っています。福島県産と付いただけで、抹殺されます。これでは漁民も農民も、救われません。これから先、何年も続くのでしょうか。
かつて水俣病が紙上をにぎわした頃、観光バスが水俣の街中を通るとき、乗客が息を止めて通過したという実に笑えない悲しい事実がありました。
避難所生活を強いられている福島県の女性は避難所先で「原発の近くから来たということで、病院や 温泉で差別を受けた」とか、ある運送業者が他県のガソリンスタンドへ行ったら「福島県民お断り」の貼り紙があったとか、レストランでの入店を断られたとか、ホテルに宿泊出来なかったとか、皮膚炎の治療をしようとした女子児童が病院から断られた…などなど、いろんな差別が明るみになってきました。宇都宮市から郡山市にタクシーをお願いした人が、放射能汚染を理由に乗車拒否に遭ったという新聞記事もありましたが、実に科学的根拠のないバカバカしい話です。そのタクシーの運転手に石を投げつけたいくらいです。
川崎市長が被災地支援の一環として「津波で残った瓦礫を川崎まで運び処理したい」と福島県に申し出たところ、それを知った川崎市民から苦情の電話が殺到したという記事もありました。
何ら科学的根拠のない差別や風評被害が次々と出てきます。それもエゴむき出しの、自分だけが良ければいいという人間として実に醜い一面が、過度に栄えた都会の空を当り前のように飛び交う世の中になってしまいました。ここにきて、善良を装った人間の本質を見たような気がします。
放射能も恐いですが、善良面をした市民の心ない言動がさらにおそろしくも感じます。
もちろん、全ての人がそうではありません。ほんのひと握りの人間のせいで、当事者たちが悲しい目に遭ってしまいます。
でもそれとは逆に、日本全国いや世界中からこれほどに温かい手が差し伸べらるとは思ってもみませんでした。
やさしい人も、いっぱいるんだ。カンゲキしました……。
オラがふくしま、痛みで声をあげているのに何も出来ないもどかしさ、遠くに住んでいることの無力さを感じながら、毎日のニュースに心を痛めています。
とりあえず原発問題が一分でも早く終息に向かうことを、願ってやみません。
Peeちゃんも、うつくしま「ふくしま」の方向を見上げ、まだ行ったことのない故郷の騒動を憂いています。
いや、電線に止まったスズメが気になっているのかも……。
うつくしまふくしま───。オラが生まれ育った福島県は、いま瀕死の重傷を負っております。美しかった山も川も海も、いやそればかりではありません。水も土も空気も農作物も魚介類も、あらゆる存在が心ない人の手によって窮地に追いやられています。緑豊かな大自然の恵みをたっぷりと受けて育った人々の心も体も、また然りです。自然も人間も、もう立ち上がれないほどの傷を負ってしまいました。いったい何がそこまで追いつめたのでしょうか。
(DASH村も、放射能に汚染されてしまいました。理想を目ざして開拓された村は、やがて廃村になるでしょう。村民もスタッフも動物たちも、避難しました。それこそ、想定外の結果になってしまいました。)
原発は安全です。空気や地球を汚さない未来のエネルギーです。東電は何度もくり返しました。地域住民には、安全だ安全だとしつこくくり返し、わざわざ東京から離れた他所の県に基地を作りました。
過去に30数メートルの大津波がこの東北の地を襲った事実を知りながら、津波対策としての防波堤を5.5メートルの高さで間に合わせたこのいい加減さ、これでよくも「想定外の出来事」などと言えたものです。こんなことで地域を守れると思ったのでしょうか。安全が確保されると思ったのでしょうか。いえ、最初から地元住民の安全を守るなどという意識はなかったのです。利益率が最も高い、つまり水力や火力や風力や太陽熱による発電よりも経費がはるかに安く済む原発事業を、やみくもに推進しました。
それにしてもこの東電という会社は、いわく付きの会社です。これまでにトラブル隠しで、何度も県民をあざむいてきました。2002年の原発トラブルの隠ぺい事件、2009年の発電設備における法定検査のデータ改ざん。今回のトラブル直後にも、正確な状況を発表することもなく、悪化する現場の深刻な現実をひた隠しにしてきました。
この東電は、過去に何度もトラブルがあったにもかかわらず、その事実を隠し続けました。福島第一、第二、柏崎刈羽発電所の計13基地において、1980~90年代にかけて、部品ひび割れなどのトラブル隠しが29件もありました。
2002年には、東電のトラブル隠しを内部告発するファクスが県庁に届いたにもかかわらず、保安院は2年もの間この事実の調査を行わず、その上に告発の内容を東電側に密告するという信じられないような行動を取りました。
こんな経歴を持った東電が、はたして住民の安全を考えていたとは思えません。その時の事実開示の請求に対しても、東電側は非協力的な態度で終始し、事実の隠ぺいや隠滅を図りました。地元自治体や住民を無視し続けた東電の陰で、ひたすら原発推進の旗を振り続けた当時の政府や経産省の責任も大変に重いものです。
つい最近では、東電役員の大半が前政権の自民党に対して政治献金を続けて事業推進をやりやすくしたとか、原発擁護の東大教授に5億円の研究費を渡していたとか、原子力安全委員会は東電から研究費をたんまりと頂いていた東大閥の原子力研究者の引退組で構成されているとか、経産省の天下り官僚が続々と東電に流れているとか、そんなニュースが次々と上がってきました。もうそこには地域住民などはまったく入り込むことの出来ない密室となってしまいました。沖縄返還時の日米間の密約のように、国民をあざむいた不正な取引が次々と明るみに出てきました。
TVで「安全」を強調した某教授は、いったいどういう心境なんでしょうか。東電の社長同様に、痛みが我が身に及ばないからそんなことを言えるのでしょうか。
毎日毎日、原発に関するニュースは深刻さを増しています。そして、風評被害──。
正直言って、とりあえず明日、明後日の生活の心配がない住民が、自分のことだけを考えて買い占めに走ったということは、実に悲しい出来事でした。日本を、いえ世界を代表するような大都会の住民が、です。そんなに自分のことしか考えられないようなエゴの塊だったとは、考えるに悲しい事実です。
野菜も魚も牛乳も肉も、福島県産のあらゆる食べ物が風評被害に遭っています。福島県産と付いただけで、抹殺されます。これでは漁民も農民も、救われません。これから先、何年も続くのでしょうか。
かつて水俣病が紙上をにぎわした頃、観光バスが水俣の街中を通るとき、乗客が息を止めて通過したという実に笑えない悲しい事実がありました。
避難所生活を強いられている福島県の女性は避難所先で「原発の近くから来たということで、病院や 温泉で差別を受けた」とか、ある運送業者が他県のガソリンスタンドへ行ったら「福島県民お断り」の貼り紙があったとか、レストランでの入店を断られたとか、ホテルに宿泊出来なかったとか、皮膚炎の治療をしようとした女子児童が病院から断られた…などなど、いろんな差別が明るみになってきました。宇都宮市から郡山市にタクシーをお願いした人が、放射能汚染を理由に乗車拒否に遭ったという新聞記事もありましたが、実に科学的根拠のないバカバカしい話です。そのタクシーの運転手に石を投げつけたいくらいです。
川崎市長が被災地支援の一環として「津波で残った瓦礫を川崎まで運び処理したい」と福島県に申し出たところ、それを知った川崎市民から苦情の電話が殺到したという記事もありました。
何ら科学的根拠のない差別や風評被害が次々と出てきます。それもエゴむき出しの、自分だけが良ければいいという人間として実に醜い一面が、過度に栄えた都会の空を当り前のように飛び交う世の中になってしまいました。ここにきて、善良を装った人間の本質を見たような気がします。
放射能も恐いですが、善良面をした市民の心ない言動がさらにおそろしくも感じます。
もちろん、全ての人がそうではありません。ほんのひと握りの人間のせいで、当事者たちが悲しい目に遭ってしまいます。
でもそれとは逆に、日本全国いや世界中からこれほどに温かい手が差し伸べらるとは思ってもみませんでした。
やさしい人も、いっぱいるんだ。カンゲキしました……。
オラがふくしま、痛みで声をあげているのに何も出来ないもどかしさ、遠くに住んでいることの無力さを感じながら、毎日のニュースに心を痛めています。
とりあえず原発問題が一分でも早く終息に向かうことを、願ってやみません。
Peeちゃんも、うつくしま「ふくしま」の方向を見上げ、まだ行ったことのない故郷の騒動を憂いています。いや、電線に止まったスズメが気になっているのかも……。
東日本大震災 [番外編]
オラの地震計が壊れてしまったなどということは、もうどうでもいいことです。
事は重大です。犠牲となった人たちが、ますます増えつつあります。
天災は予告もなしにやって来て、計り知れないほどの爪痕を残していきますが、その後の原発の問題、これはどう考えたって人災でしょう。太陽光や風力など自然のエネルギーがいくらでも降って湧いて出てくるのに、安易な原子力に頼り過ぎた、そしてその安全を過信した今度の災害は、人間の責任です。安全だ安全だと言ってそれを闇雲に押し進めた政治の力、前政権の責任です。
1号機から始まって、不手際の連続。出来るだけ安全と思える数値を発表して、国民を安心させたい(自分たちの不手際を隠したい)気持ちは分かりますが、日に日に状況が悪くなり、福島県外への脱出をはかる人たちが増えてきました。
現場で災害を食い止めようと懸命に働いている作業員には頭が下がりますが、避難をせざるを得なくなった住民たち、また近隣の人たちにとってはつらい毎日でしょう。精神面でも肉体面でも、また経済的にも将来的にも、住民に負担を強いるものだらけです。
さらに新たな問題も浮上してきました。牛乳や野菜に規制値を超える放射線量が含まれているという問題。政府発表では、決して人体には影響のない範囲のものだと躍起になって力説しておりますが、この風評被害が厄介なものです。ものは売れなくなります。生産者の生活が成り立たなくなります。
「そんなに安全なら、あなた飲んでみますか? 食べてみますか?」
こう質問したいです。きっと政治家や東電の社長は嫌がります。それとも、いつかのカイワレダイコンの問題のように、安全なカイワレを口一杯にほおばって安全だというパフォーマンスを試みますか?
使用済み核燃料の再利用という実に聞こえの良い言葉を使って、プルサーマル計画を推し進めてきました。MOX燃料検査データをねつ造したり、数々のトラブルを隠ぺいしてきました。人類の死活問題に関わる危険性を、沖縄の基地問題同様に、弱い人間、強く反発をしない県民に押し付けてきました。政治的圧力と補助金で弱い人間たちの口封じをしてきました。そのくせ、船が沈没しかかるといち早く逃げ出すのです。本当に原発が必要でかつ安全ならば、東京電力は東京湾に原発を作ればいいんです。都民は、賛成しますか? それとも、沖縄問題同様に、他県ならいいですか?
とうとうオラの兄姉たちにも、原発の影響が出てきました。風下のいわき市に住む姉の家族は、郡山に疎開。もう一人の姉が住む福島市は、大気の放射性物質濃度が極端に高くなりました。スーパーでの食料品は少なく高くなり、ガソリン、灯油は品切れです。疎開するにも動けません。今日などは、東風に変わり、実家の兄の所へも放射能が飛んでいく危険性もあります。いったい、どうなっていくんでしょうか、日本は。
こんな折に、まぁ以前からもそのアホさ加減は知られていましたが、「津波は天罰だ」などとのたまった知事がおります。どんな事情があろうとこんな時にこんなことを言う人間は、とても人間の心を持ち合わせているとは思えません。他人の心の痛みが全く分からない人です。かつて水俣に来て「もぐり患者がいる」と言ってみたり、弟の病気の時には公私混同もはなはだしく自衛隊機を使って駆けつけたりして非難を浴びました。自分の身、自分の家族だけが幸せならばいいと考える悲しい人間です。痛みが分からない人間には、政治をやる資格などありません。そんな人が、東京のためになるのでしょうか。
オラが江戸に上り寺子屋に通った頃には、もっと筋の通った人間味のある諸大名が一杯いたような気がするんだけど……。江戸も、なんでこんな人間を知事に押し上げたのでしょうか。不可解です。
こんな人がそばを通ったら、オラ、石を投げつけてやりますバイ。
それにしても、事は重大です。
地震、津波、原発被害。三重苦です。各地の被災者は、どん底です。TVのCMも、賑やかなものは自粛している模様です。当然です。
実家の隣町は、原発避難民の多い三春町です。この地から駆けつけて、少しでもお役に立ちたい気はあっても、不可能です。物資も、もっと空から空輸出来ないものかなどと素人考えにふけるのですが、どうなんでしょうか。
災害発生から10日間が過ぎました。気力、体力ともに萎えてくるでしょう。気休めを言っても役には立たないでしょうが、何とか頑張ってほしいものです。
【とんぼ玉紹介】




なかなか作る機会のないとんぼ玉です。
このたび九州新幹線が開通しました。その車名「さくら」「みずほ」にちなんだとんぼ玉を作ってほしいと言われましたが、さくら色風のものは作りますが、みずほとなると思い浮かびません。
いつものマンネリで、こんなものを作りました。この桃色いちごは、見るからに美味しそうですよ。
事は重大です。犠牲となった人たちが、ますます増えつつあります。
天災は予告もなしにやって来て、計り知れないほどの爪痕を残していきますが、その後の原発の問題、これはどう考えたって人災でしょう。太陽光や風力など自然のエネルギーがいくらでも降って湧いて出てくるのに、安易な原子力に頼り過ぎた、そしてその安全を過信した今度の災害は、人間の責任です。安全だ安全だと言ってそれを闇雲に押し進めた政治の力、前政権の責任です。
1号機から始まって、不手際の連続。出来るだけ安全と思える数値を発表して、国民を安心させたい(自分たちの不手際を隠したい)気持ちは分かりますが、日に日に状況が悪くなり、福島県外への脱出をはかる人たちが増えてきました。
現場で災害を食い止めようと懸命に働いている作業員には頭が下がりますが、避難をせざるを得なくなった住民たち、また近隣の人たちにとってはつらい毎日でしょう。精神面でも肉体面でも、また経済的にも将来的にも、住民に負担を強いるものだらけです。
さらに新たな問題も浮上してきました。牛乳や野菜に規制値を超える放射線量が含まれているという問題。政府発表では、決して人体には影響のない範囲のものだと躍起になって力説しておりますが、この風評被害が厄介なものです。ものは売れなくなります。生産者の生活が成り立たなくなります。
「そんなに安全なら、あなた飲んでみますか? 食べてみますか?」
こう質問したいです。きっと政治家や東電の社長は嫌がります。それとも、いつかのカイワレダイコンの問題のように、安全なカイワレを口一杯にほおばって安全だというパフォーマンスを試みますか?
使用済み核燃料の再利用という実に聞こえの良い言葉を使って、プルサーマル計画を推し進めてきました。MOX燃料検査データをねつ造したり、数々のトラブルを隠ぺいしてきました。人類の死活問題に関わる危険性を、沖縄の基地問題同様に、弱い人間、強く反発をしない県民に押し付けてきました。政治的圧力と補助金で弱い人間たちの口封じをしてきました。そのくせ、船が沈没しかかるといち早く逃げ出すのです。本当に原発が必要でかつ安全ならば、東京電力は東京湾に原発を作ればいいんです。都民は、賛成しますか? それとも、沖縄問題同様に、他県ならいいですか?
とうとうオラの兄姉たちにも、原発の影響が出てきました。風下のいわき市に住む姉の家族は、郡山に疎開。もう一人の姉が住む福島市は、大気の放射性物質濃度が極端に高くなりました。スーパーでの食料品は少なく高くなり、ガソリン、灯油は品切れです。疎開するにも動けません。今日などは、東風に変わり、実家の兄の所へも放射能が飛んでいく危険性もあります。いったい、どうなっていくんでしょうか、日本は。
こんな折に、まぁ以前からもそのアホさ加減は知られていましたが、「津波は天罰だ」などとのたまった知事がおります。どんな事情があろうとこんな時にこんなことを言う人間は、とても人間の心を持ち合わせているとは思えません。他人の心の痛みが全く分からない人です。かつて水俣に来て「もぐり患者がいる」と言ってみたり、弟の病気の時には公私混同もはなはだしく自衛隊機を使って駆けつけたりして非難を浴びました。自分の身、自分の家族だけが幸せならばいいと考える悲しい人間です。痛みが分からない人間には、政治をやる資格などありません。そんな人が、東京のためになるのでしょうか。
オラが江戸に上り寺子屋に通った頃には、もっと筋の通った人間味のある諸大名が一杯いたような気がするんだけど……。江戸も、なんでこんな人間を知事に押し上げたのでしょうか。不可解です。
こんな人がそばを通ったら、オラ、石を投げつけてやりますバイ。
それにしても、事は重大です。
地震、津波、原発被害。三重苦です。各地の被災者は、どん底です。TVのCMも、賑やかなものは自粛している模様です。当然です。
実家の隣町は、原発避難民の多い三春町です。この地から駆けつけて、少しでもお役に立ちたい気はあっても、不可能です。物資も、もっと空から空輸出来ないものかなどと素人考えにふけるのですが、どうなんでしょうか。
災害発生から10日間が過ぎました。気力、体力ともに萎えてくるでしょう。気休めを言っても役には立たないでしょうが、何とか頑張ってほしいものです。
【とんぼ玉紹介】




なかなか作る機会のないとんぼ玉です。
このたび九州新幹線が開通しました。その車名「さくら」「みずほ」にちなんだとんぼ玉を作ってほしいと言われましたが、さくら色風のものは作りますが、みずほとなると思い浮かびません。
いつものマンネリで、こんなものを作りました。この桃色いちごは、見るからに美味しそうですよ。
タグ:東日本大震災
オラの地震計(83) [頭の痛〜い話]
東北地方太平洋沖地震。
天災は忘れた頃にやってくる…。そんなはずはないですけど、先頃ニュージーランド地震で悲惨な光景を目にしてもいただろうし、数日前に頻発していた日本各地の地震などからも、心のゆるみなどはなかったと思います。
それにしてもひどい惨状です。昨日、仕事の休憩時間につけたTVに、いきなり信じられない光景が映し出されていました。まるで地獄絵です。
オラが田舎っぺ村は、被害甚大な福島県。さっそく兄のところへ電話を入れたのですが、全く通じません。夜になっても今朝になっても全く回復の兆しなしでした。
田舎っぺ村は、太平洋岸とは反対の方向にありますから、多少は安心していました。それでも震度6を記録しています。昨日わが家へ戻ってからは、TVに釘づけ。
次々に映し出される信じられないような光景に、複雑な思いに駆られました。大津波は、老人や子ども、罪のない人たちを町ぐるみゴッゾリとかっさらっていき、冷たい世界に閉じ込めました。なんちゅうことでしょうか。
自然は、脅威です。人間が考える数倍も数十倍も恐ろしいものです。そんな脅威の自然を、ちっぽけな人間が変えようとあっちこっち切り崩したり、焼き払ったり、コンクリートでフタをしたり、熱したり……。大自然の怒りです。
旧約聖書に出てくる『バベルの塔』のように、人間の高慢さに激怒した神の怒りでしょうか。この地球という大自然を作り上げ、生き物たちが過ごしやすいようにあらゆるものを創造した未知なる力、そんな摂理をも屁とも思わない高慢ちきな人間に対するしっぺい返しでしょうか。
でも、被災された方々には何とお悔やみを申し上げていいのやら、言葉に詰まります。明日も未来もある人たち、残された時間を有意義に過ごそうとしていた人たち、そんな人たちの日常が一瞬にして幕を下ろされてしまったのです。また幸いにして生き残った人たちにも、厳しい現実が待ち受けています。
まる一日経って、兄のところへ電話がつながりました。瓦が落ち壁が崩れた程度で済みました。さすがに震度6のもとでは立ってはいられず畳に這いつくばっていたとのこと。いわき市の姉のところでは、海岸からかなり離れた所に位置するのですが、床下まで潮が押し寄せてきたとのこと。どちらも激甚な被害はなく、安心いたしました。
こうなったからには、野党も与党も関係なく復興に向けて協力し合わなければなりませんし、自衛隊だって総動員させるくらいの対処法を考えなければなりませんね。われわれだって、なにか形にあらわさなければなりません。
こんな折に、オラのアヤシ気なブログにオラ自身のことを載っけるのはどうかと思いましたが、この東北地方太平洋沖地震ほどの激震ではないにしろオラにとっては激震だったので、述べてみます。
大地震二日前の9日、当地にも小さな地震が二度続きました。
昼食を終えコタツに入ってTVを視ていた奥さんが、地震だと言って大声を上げました。でもオラには何も感じません。窓辺にぶら下がっているロールカーテンのヒモも全く揺れてはいません。奥さんは食後の満足感とコタツの暖かさできっと寝ぼけたバイね。そんなことを考えていると、オラにも奥さんの昼寝モードが乗り移ってきそうな雰囲気でした。
すると寝ぼけマナコで視ていたTVの画面に、テロップが流れました。地震情報でした。「きょう◯時◯分、◯◯地方に地震がありました。震度3……」
やっぱり奥さんの地震計が正しかったようです。そしてまた数分後、奥さんが叫びます。「また地震だぁ〜」オラには全く感じません。
その後再びテロップが流れました。
奥さんニッコリ。オラに向かって「ボケたぁ〜?」と言わんばかり。オラも少々弱気になります。「少しボケたかも…」
ん〜、まいった、まいった。本当に参りました。オラの地震計は、こわれてしまいました。
これまでに何度も書きましたが、オラの地震計がこわれた原因は、前庭神経を切断され平衡感覚が全く鈍くなってしまったせいなんです。(No.80など参照)
体が揺れても傾いても、とっさに感じとることは出来ません。体が傾いた時にさぁどうしましょうかと、いったん小脳にお伺いを立てるのです。その後に小脳からのお答えが届きます。「倒れたら痛かバイね、体を右の方へ戻したらヨカよ」なんちゅう回答を受け取って、初めて体の平行を保つことが出来るのです。
以前ならば、震度3ほどの地震ならば簡単に気づいたはずです。気にしながらも2度目の地震にも気づきませんでした。
これはエラいこっちゃ〜。
普段の生活でも、この平衡感覚の欠落というものを思い知らされていたのに、こんな所でも改めてギャフンというほどに思い知らされました。
体が浮いたり傾いたり、オラにはもう感じ取れなくなりました〜。エ〜〜〜ン。
もしオラが路上で、百万円の札束を踏んづけたって、気づくことなく通り過ぎるでしょうね。
でもね、じっさい気づいたって、拾うなどというチャチな気も起きないでしょう。
きっと、たぶん…。
いや、拾ってみた〜〜〜い!
【Peeちゃん、キズものに】
こんな目には会わせたくはなかったのですが、やむを得ずキズものにしてしまいました。
Peeちゃんもどうにか一人前(?)の乙女になったのです。発情期で毎日毎日痛々しいほど鳴き続けました。エサも食べずにやせ細り、背中の骨が浮き出てきました。人が(ネコが)変わったように、表情も行動もこの世のものとは思えないほどの変わりよう。最初の発情が済んで二十日ほど経ったら、また再び。今度は10日間も続きました。余りにも焦燥し切った感じなので、決心しました。子どもを産まない、産ませないことにしました。
避妊手術は1時間程度でしたが、麻酔が覚めるまで5時間ほど病院に預けました。
退院後4、5日の間は、お腹の筋肉が痛いのか動きも鈍かったようですが、一週間経った今ではまた元の動きに戻りました。バリカンで傷つけられた所もあり、実に痛々しい感じでしたが、抜糸はなく、糸は自然に溶けていくそうです。

天災は忘れた頃にやってくる…。そんなはずはないですけど、先頃ニュージーランド地震で悲惨な光景を目にしてもいただろうし、数日前に頻発していた日本各地の地震などからも、心のゆるみなどはなかったと思います。
それにしてもひどい惨状です。昨日、仕事の休憩時間につけたTVに、いきなり信じられない光景が映し出されていました。まるで地獄絵です。
オラが田舎っぺ村は、被害甚大な福島県。さっそく兄のところへ電話を入れたのですが、全く通じません。夜になっても今朝になっても全く回復の兆しなしでした。
田舎っぺ村は、太平洋岸とは反対の方向にありますから、多少は安心していました。それでも震度6を記録しています。昨日わが家へ戻ってからは、TVに釘づけ。
次々に映し出される信じられないような光景に、複雑な思いに駆られました。大津波は、老人や子ども、罪のない人たちを町ぐるみゴッゾリとかっさらっていき、冷たい世界に閉じ込めました。なんちゅうことでしょうか。
自然は、脅威です。人間が考える数倍も数十倍も恐ろしいものです。そんな脅威の自然を、ちっぽけな人間が変えようとあっちこっち切り崩したり、焼き払ったり、コンクリートでフタをしたり、熱したり……。大自然の怒りです。
旧約聖書に出てくる『バベルの塔』のように、人間の高慢さに激怒した神の怒りでしょうか。この地球という大自然を作り上げ、生き物たちが過ごしやすいようにあらゆるものを創造した未知なる力、そんな摂理をも屁とも思わない高慢ちきな人間に対するしっぺい返しでしょうか。
でも、被災された方々には何とお悔やみを申し上げていいのやら、言葉に詰まります。明日も未来もある人たち、残された時間を有意義に過ごそうとしていた人たち、そんな人たちの日常が一瞬にして幕を下ろされてしまったのです。また幸いにして生き残った人たちにも、厳しい現実が待ち受けています。
まる一日経って、兄のところへ電話がつながりました。瓦が落ち壁が崩れた程度で済みました。さすがに震度6のもとでは立ってはいられず畳に這いつくばっていたとのこと。いわき市の姉のところでは、海岸からかなり離れた所に位置するのですが、床下まで潮が押し寄せてきたとのこと。どちらも激甚な被害はなく、安心いたしました。
こうなったからには、野党も与党も関係なく復興に向けて協力し合わなければなりませんし、自衛隊だって総動員させるくらいの対処法を考えなければなりませんね。われわれだって、なにか形にあらわさなければなりません。
こんな折に、オラのアヤシ気なブログにオラ自身のことを載っけるのはどうかと思いましたが、この東北地方太平洋沖地震ほどの激震ではないにしろオラにとっては激震だったので、述べてみます。
大地震二日前の9日、当地にも小さな地震が二度続きました。
昼食を終えコタツに入ってTVを視ていた奥さんが、地震だと言って大声を上げました。でもオラには何も感じません。窓辺にぶら下がっているロールカーテンのヒモも全く揺れてはいません。奥さんは食後の満足感とコタツの暖かさできっと寝ぼけたバイね。そんなことを考えていると、オラにも奥さんの昼寝モードが乗り移ってきそうな雰囲気でした。
すると寝ぼけマナコで視ていたTVの画面に、テロップが流れました。地震情報でした。「きょう◯時◯分、◯◯地方に地震がありました。震度3……」
やっぱり奥さんの地震計が正しかったようです。そしてまた数分後、奥さんが叫びます。「また地震だぁ〜」オラには全く感じません。
その後再びテロップが流れました。
奥さんニッコリ。オラに向かって「ボケたぁ〜?」と言わんばかり。オラも少々弱気になります。「少しボケたかも…」
ん〜、まいった、まいった。本当に参りました。オラの地震計は、こわれてしまいました。
これまでに何度も書きましたが、オラの地震計がこわれた原因は、前庭神経を切断され平衡感覚が全く鈍くなってしまったせいなんです。(No.80など参照)
体が揺れても傾いても、とっさに感じとることは出来ません。体が傾いた時にさぁどうしましょうかと、いったん小脳にお伺いを立てるのです。その後に小脳からのお答えが届きます。「倒れたら痛かバイね、体を右の方へ戻したらヨカよ」なんちゅう回答を受け取って、初めて体の平行を保つことが出来るのです。
以前ならば、震度3ほどの地震ならば簡単に気づいたはずです。気にしながらも2度目の地震にも気づきませんでした。
これはエラいこっちゃ〜。
普段の生活でも、この平衡感覚の欠落というものを思い知らされていたのに、こんな所でも改めてギャフンというほどに思い知らされました。
体が浮いたり傾いたり、オラにはもう感じ取れなくなりました〜。エ〜〜〜ン。
もしオラが路上で、百万円の札束を踏んづけたって、気づくことなく通り過ぎるでしょうね。
でもね、じっさい気づいたって、拾うなどというチャチな気も起きないでしょう。
きっと、たぶん…。
いや、拾ってみた〜〜〜い!
【Peeちゃん、キズものに】
こんな目には会わせたくはなかったのですが、やむを得ずキズものにしてしまいました。
Peeちゃんもどうにか一人前(?)の乙女になったのです。発情期で毎日毎日痛々しいほど鳴き続けました。エサも食べずにやせ細り、背中の骨が浮き出てきました。人が(ネコが)変わったように、表情も行動もこの世のものとは思えないほどの変わりよう。最初の発情が済んで二十日ほど経ったら、また再び。今度は10日間も続きました。余りにも焦燥し切った感じなので、決心しました。子どもを産まない、産ませないことにしました。
避妊手術は1時間程度でしたが、麻酔が覚めるまで5時間ほど病院に預けました。
退院後4、5日の間は、お腹の筋肉が痛いのか動きも鈍かったようですが、一週間経った今ではまた元の動きに戻りました。バリカンで傷つけられた所もあり、実に痛々しい感じでしたが、抜糸はなく、糸は自然に溶けていくそうです。
深夜の、アヤシ気な水滴…!?(82) [頭の痛〜い話]
しばらくご無沙汰をいたしておりました。引越しをいいことに、怠けておりました。前回アップしたのは、もう10年も前の気分。
引越しのドタバタ、義父の葬儀と重なり、さらに仕事では毎日ツルハシ振り回して人間掘削機の役目。体があちこちと悲鳴を上げていました。右手が痛みで上がりませんでした。四十肩だか五十肩だか、いややっぱり六十肩でしょうか。年齢詐称はやめましょう。
今月初め頃は当地も大変冷え込み、朝は氷点下3度とか4度、昼だって5度くらいまでしか上がりませんでした。そんな寒さの中でも、スコップで地球を掘っていますと大汗をかきます。下着は汗でグチャグチャに濡れてしまいます。その後に冷たい北風に吹かれますので体が冷えきってしまい、ガタガタと震えていました。汗とガタガタのくり返しで体は氷のよう。頭痛やら微熱やらが抜け切らずに、体調がイマイチすっきりしませんでした。
冬場は、仕事のハードさよりも体調管理の方で苦労します。おかげさまで重いインフルエンザにもかからず、せいぜい鼻水を垂らして鼻の下あたりを赤くテカテカと光らせていた程度で、どうにか冬場も乗り切っていけそうです。
記事のアップから遠ざかっていた近頃ですが、不思議なことに来訪者の数がやたらと増えていました。一日の訪問者数もオラのブログ生活の中では記録的な数字を作り上げました。
な、な、何たること!? アップしないと、閲覧者数が増えるってか? ということは、記事を書かない方がおもしろい、ということになるんだべか。なんちゅう皮肉……。も~、グレてやる!
でもなぁ、このままいったのではブログが炎上してしまうぞ。ヤバい。早いとこ水をかけなきゃ……。
ってなことで、久しぶりのアップを試み、炎上を防ぎましょう。
引越し…、大変でした。もちろん作業もですが、環境が変わるという大変さです。今まで狭かった分、新居の広さにはなれていなくて、あちこちでひっくり返っています。
以前の住まいでは夜中にトイレに起きたとしても、奥さんの顔をまたいで、もしくは踏んづけてから3歩も歩けばトイレに辿り着きました。平衡感覚の覚束ないオラだって、奥さんの顔に蹴つまずいてオットットとたたらを踏んだ暁には、うまいことに便座に腰を下ろしていました。狭いと、便利なことだってあるんです。
ところがどうでしょう。新しい住まいはトイレまでの距離の長いこと長いこと。チャリにでも乗っていこうか、なんて衝動が起きます。目的地へたどり着く前に、小なるものは2、3滴はちびっているでしょう。大なるものはコンチワ~などと顔をのぞかせております。
従来の狭い場所でのクセが抜けなくて、奥さんの顔をまたいで3歩も歩いてから放出してしまったならば、廊下は水浸し。大変なことになります。そそうのないように気を使っておりますので、ついつい眠気も吹っ飛んで、その後は寝つかれなくなってしまうことだってありました。
台所だってそうなんですよ。
今までは、台所の狭い空間にテーブルを置き、二人向かい合って食事をしていました。ですから、ちょっと手を伸ばせば台所のシンクです。食べ終わった食器類は、ちょっと手を伸ばして流しへポイ。食べカスもまだ食べてないものも、ポイ。便利ですね〜。片付けるには大変好都合で、椅子に座ったまま何でも出来るという、ものぐさな性格にはもってこいの住まいでした。それが今では大変な距離。テーブルに運ぶまでにはスープも冷めてしまうほど。(ちょっとオーバーです)食べ終わって食器類を片づけるまでには長〜い距離を歩きますので、またまたお腹が空いてきます。(これもオーバーです)
当面の問題は、何といっても深夜のトイレタイムでしょうか。真っ暗な中をトイレまで歩くという、普通の方には難しくもな〜んともないことなんですが、オラにとっては至難の業なんですよ。
暗闇でまっすぐな姿勢を保つことは、不可能なんです。周りが暗いと、オラの平衡感覚は何を頼りに体をまっすぐに保つか計算出来ないのです。明るければ、目から入った周りの風景を参考にして自分の体の傾きをどうにか修正することが出来るのですが……。
平衡感覚が正常ならば、視覚などに頼るなんてことせずに、反射的に体の傾きを修正してしまいます。それも一瞬に、です。ですから、ふらつきもなくまっすぐに歩けるのです。
人間の体は、実に精密に出来ていますね。
新居に慣れるまでは、ひと晩に2、3滴くらい漏らしたとしても、まぁ良しとしましょう。初めは多少は冷たくてもね、朝までには乾くでしょうから。
それよりも柱と頭突きをしたり、便器にアタマを突っ込んだりしないように充分気をつけなければなりません。
Peeちゃんもなかなか新居に慣れません。狭かったあの家がなつかしかぁ〜なんて思いながら、窓の外のハトたちを眺めています。
引越しのドタバタ、義父の葬儀と重なり、さらに仕事では毎日ツルハシ振り回して人間掘削機の役目。体があちこちと悲鳴を上げていました。右手が痛みで上がりませんでした。四十肩だか五十肩だか、いややっぱり六十肩でしょうか。年齢詐称はやめましょう。
今月初め頃は当地も大変冷え込み、朝は氷点下3度とか4度、昼だって5度くらいまでしか上がりませんでした。そんな寒さの中でも、スコップで地球を掘っていますと大汗をかきます。下着は汗でグチャグチャに濡れてしまいます。その後に冷たい北風に吹かれますので体が冷えきってしまい、ガタガタと震えていました。汗とガタガタのくり返しで体は氷のよう。頭痛やら微熱やらが抜け切らずに、体調がイマイチすっきりしませんでした。
冬場は、仕事のハードさよりも体調管理の方で苦労します。おかげさまで重いインフルエンザにもかからず、せいぜい鼻水を垂らして鼻の下あたりを赤くテカテカと光らせていた程度で、どうにか冬場も乗り切っていけそうです。
記事のアップから遠ざかっていた近頃ですが、不思議なことに来訪者の数がやたらと増えていました。一日の訪問者数もオラのブログ生活の中では記録的な数字を作り上げました。
な、な、何たること!? アップしないと、閲覧者数が増えるってか? ということは、記事を書かない方がおもしろい、ということになるんだべか。なんちゅう皮肉……。も~、グレてやる!
でもなぁ、このままいったのではブログが炎上してしまうぞ。ヤバい。早いとこ水をかけなきゃ……。
ってなことで、久しぶりのアップを試み、炎上を防ぎましょう。
引越し…、大変でした。もちろん作業もですが、環境が変わるという大変さです。今まで狭かった分、新居の広さにはなれていなくて、あちこちでひっくり返っています。
以前の住まいでは夜中にトイレに起きたとしても、奥さんの顔をまたいで、もしくは踏んづけてから3歩も歩けばトイレに辿り着きました。平衡感覚の覚束ないオラだって、奥さんの顔に蹴つまずいてオットットとたたらを踏んだ暁には、うまいことに便座に腰を下ろしていました。狭いと、便利なことだってあるんです。
ところがどうでしょう。新しい住まいはトイレまでの距離の長いこと長いこと。チャリにでも乗っていこうか、なんて衝動が起きます。目的地へたどり着く前に、小なるものは2、3滴はちびっているでしょう。大なるものはコンチワ~などと顔をのぞかせております。
従来の狭い場所でのクセが抜けなくて、奥さんの顔をまたいで3歩も歩いてから放出してしまったならば、廊下は水浸し。大変なことになります。そそうのないように気を使っておりますので、ついつい眠気も吹っ飛んで、その後は寝つかれなくなってしまうことだってありました。
台所だってそうなんですよ。
今までは、台所の狭い空間にテーブルを置き、二人向かい合って食事をしていました。ですから、ちょっと手を伸ばせば台所のシンクです。食べ終わった食器類は、ちょっと手を伸ばして流しへポイ。食べカスもまだ食べてないものも、ポイ。便利ですね〜。片付けるには大変好都合で、椅子に座ったまま何でも出来るという、ものぐさな性格にはもってこいの住まいでした。それが今では大変な距離。テーブルに運ぶまでにはスープも冷めてしまうほど。(ちょっとオーバーです)食べ終わって食器類を片づけるまでには長〜い距離を歩きますので、またまたお腹が空いてきます。(これもオーバーです)
当面の問題は、何といっても深夜のトイレタイムでしょうか。真っ暗な中をトイレまで歩くという、普通の方には難しくもな〜んともないことなんですが、オラにとっては至難の業なんですよ。
暗闇でまっすぐな姿勢を保つことは、不可能なんです。周りが暗いと、オラの平衡感覚は何を頼りに体をまっすぐに保つか計算出来ないのです。明るければ、目から入った周りの風景を参考にして自分の体の傾きをどうにか修正することが出来るのですが……。
平衡感覚が正常ならば、視覚などに頼るなんてことせずに、反射的に体の傾きを修正してしまいます。それも一瞬に、です。ですから、ふらつきもなくまっすぐに歩けるのです。
人間の体は、実に精密に出来ていますね。
新居に慣れるまでは、ひと晩に2、3滴くらい漏らしたとしても、まぁ良しとしましょう。初めは多少は冷たくてもね、朝までには乾くでしょうから。
それよりも柱と頭突きをしたり、便器にアタマを突っ込んだりしないように充分気をつけなければなりません。
Peeちゃんもなかなか新居に慣れません。狭かったあの家がなつかしかぁ〜なんて思いながら、窓の外のハトたちを眺めています。
引っ越しが済んで……。 [ささやかな風景]
昨年から少しずつ荷物を運び出し、1月中にすべてを終える予定でいましたが、やっぱり少しだけ残りました。とにかく新しい住まいに荷物を移そうということだけで、ごらんのように部屋の中は足の踏み場もありません。この部屋は、仕事兼二人の遊び場みたいなもので、何やら訳のわからぬものが並んでいます。不要なものは出来るだけ捨てるつもりでいたのですが、これもなかなか出来なくて……。
つい2日前にやっと風呂に入ることが出来、どうにか生活らしきものを取り戻しつつあります。インターネットも本日になってやっと設定が終わり、こうしてしばらくぶりにキーを叩くことが出来ました。訪問なさった皆さまのところへもおじゃま出来ませんでした。お詫び申し上げます。

でも残念なことが起こりました。
物心ともども大変お世話になった奥さんの父上が、昨日急に亡くなられました。1年以上の闘病生活もありましたが、比較的穏やかな病状で安心をしていた矢先のことです。
今から4年ほど前に、どこの馬の骨とも知らぬ男を、最愛の娘の連れ合いとして認めて下さいました。それから何のご恩にも報いることも出来ずに、心配だけをかけてしまったようで、ただただ心が痛みます。
今夜まもなく通夜の儀が行われます。安らかな眠りにつかれることを願い、そして役立たずだったことを、詫びたいと思っています。
つい2日前にやっと風呂に入ることが出来、どうにか生活らしきものを取り戻しつつあります。インターネットも本日になってやっと設定が終わり、こうしてしばらくぶりにキーを叩くことが出来ました。訪問なさった皆さまのところへもおじゃま出来ませんでした。お詫び申し上げます。
でも残念なことが起こりました。
物心ともども大変お世話になった奥さんの父上が、昨日急に亡くなられました。1年以上の闘病生活もありましたが、比較的穏やかな病状で安心をしていた矢先のことです。
今から4年ほど前に、どこの馬の骨とも知らぬ男を、最愛の娘の連れ合いとして認めて下さいました。それから何のご恩にも報いることも出来ずに、心配だけをかけてしまったようで、ただただ心が痛みます。
今夜まもなく通夜の儀が行われます。安らかな眠りにつかれることを願い、そして役立たずだったことを、詫びたいと思っています。
捨てる、いや捨てない…。 [ささやかな風景]
正月も遠くなりにけり。月日の過ぎるのは、早いものです。
で、今年はまだ一度しかアップしておりません。実はこの一月は、引っ越しの最中なのです。今月一杯で新しい住まいに移るために、毎日せっせせっせと荷物を運んでおります。まるで、アリさんが住まいの不要物を外に運び出しているように、小荷物を手に携えて動き回っております。幸いにも移転先が近くにありますので、自転車やら軽を使って地味な引っ越しを続けております。仕事中でもあり、また大げさに専門の運送屋さんを使うと代金もかさむので、出来るだけ自力で、出費を抑えて、という涙ぐましい努力を重ねております。でも最後には冷蔵庫や家具などの重い物がありますので、そこは専門の方にお願いしようと思っております。
たまっております、ろくでもないクズが。
ホコリをかぶって、つまらぬ物が出てきます。
出来るだけスリムにしようと、捨てられる物は出来るだけ捨てようと思うのではありますが、手垢の付いた物ほど愛着という得体の知れない執着心が宿っていて、思うようには捨てきれません。物を大切にしましょうというおっ母さんお父つぁんの教育のたまものなんでしょうか。ついついたまってしまうんですね。たまらぬものは、諭吉さんばかり。
「XXXXの☆☆☆☆☆な夜」
なんじゃ~これは? 恥ずかしかぁ~!
およそオラには相応しくないものがゾロゾロと出てきました。いったい誰の持ち物だぁ~? こんなヤらしいテープをオラの机の中に入れたヤツは。タイトルを読むだけで顔が赤くなる。何かの間違いバイ!
それにしてもヤケに手垢がついているなぁ。相当に使いこなしたと見える。
でも、こんなヤらしいものは即捨てなければなりません。オラの教養と品格っつ~ものが疑われます。
だが待てよ、まだまだ賞味期限が切れてはいないぞ。けっこう、イケるかも。
とはいうものの、今時ビデオテープなるものを持っていたって、どうなるものぞ。ビデオレコーダーなんてとっくの昔に廃棄して使っていません。テープを大切に保管したって、どうなるものでもありません。テープを電灯に透かしてみたって、アヤシい場面が浮き出てくるはずもありません。耳に当ててみたって、ヤらしい囁きが聞こえるわけでもありません。
やっぱり捨てようか。いや、捨てるのはカンタン。いつだって捨てられる。でもなぁ、ビデオを再生する機材もないのに、どうやって……。
この一月は、そんな葛藤の連続で、捨てる、いや捨てない、捨てる、捨てない……。
主体性のないオラが、のたうちまわっております。
今のこの住まいは、ちょっと狭過ぎて足の踏み場もありませんが、2月からは多少広くなって、夫婦ふたり、並んでラジオ体操くらいは出来る広さになる予定です。
とりあえず忙しいので、この辺で。
昨年はキアゲハの飼育がうまくいかず、食草のセロリーやパセリだけが残ってしまいました。夫婦二人では食べきれないほどの量です。
毎日のように氷点下の冷え込みが続く当地ですが、プランターの中では寒さなどどこ吹く風とばかりに青々と茂っています。
で、今年はまだ一度しかアップしておりません。実はこの一月は、引っ越しの最中なのです。今月一杯で新しい住まいに移るために、毎日せっせせっせと荷物を運んでおります。まるで、アリさんが住まいの不要物を外に運び出しているように、小荷物を手に携えて動き回っております。幸いにも移転先が近くにありますので、自転車やら軽を使って地味な引っ越しを続けております。仕事中でもあり、また大げさに専門の運送屋さんを使うと代金もかさむので、出来るだけ自力で、出費を抑えて、という涙ぐましい努力を重ねております。でも最後には冷蔵庫や家具などの重い物がありますので、そこは専門の方にお願いしようと思っております。
たまっております、ろくでもないクズが。
ホコリをかぶって、つまらぬ物が出てきます。
出来るだけスリムにしようと、捨てられる物は出来るだけ捨てようと思うのではありますが、手垢の付いた物ほど愛着という得体の知れない執着心が宿っていて、思うようには捨てきれません。物を大切にしましょうというおっ母さんお父つぁんの教育のたまものなんでしょうか。ついついたまってしまうんですね。たまらぬものは、諭吉さんばかり。
「XXXXの☆☆☆☆☆な夜」
なんじゃ~これは? 恥ずかしかぁ~!
およそオラには相応しくないものがゾロゾロと出てきました。いったい誰の持ち物だぁ~? こんなヤらしいテープをオラの机の中に入れたヤツは。タイトルを読むだけで顔が赤くなる。何かの間違いバイ!
それにしてもヤケに手垢がついているなぁ。相当に使いこなしたと見える。
でも、こんなヤらしいものは即捨てなければなりません。オラの教養と品格っつ~ものが疑われます。
だが待てよ、まだまだ賞味期限が切れてはいないぞ。けっこう、イケるかも。
とはいうものの、今時ビデオテープなるものを持っていたって、どうなるものぞ。ビデオレコーダーなんてとっくの昔に廃棄して使っていません。テープを大切に保管したって、どうなるものでもありません。テープを電灯に透かしてみたって、アヤシい場面が浮き出てくるはずもありません。耳に当ててみたって、ヤらしい囁きが聞こえるわけでもありません。
やっぱり捨てようか。いや、捨てるのはカンタン。いつだって捨てられる。でもなぁ、ビデオを再生する機材もないのに、どうやって……。
この一月は、そんな葛藤の連続で、捨てる、いや捨てない、捨てる、捨てない……。
主体性のないオラが、のたうちまわっております。
今のこの住まいは、ちょっと狭過ぎて足の踏み場もありませんが、2月からは多少広くなって、夫婦ふたり、並んでラジオ体操くらいは出来る広さになる予定です。
とりあえず忙しいので、この辺で。
昨年はキアゲハの飼育がうまくいかず、食草のセロリーやパセリだけが残ってしまいました。夫婦二人では食べきれないほどの量です。毎日のように氷点下の冷え込みが続く当地ですが、プランターの中では寒さなどどこ吹く風とばかりに青々と茂っています。
年の初めに……。 [ささやかな風景]
も~い~くつねると~ おしょうがつ~
おしょうがつには たこあげて~……
もういっぱい寝ました。おかげでお正月が、やってきました。まっ白い、雪のお正月でした。
タコは揚げませんが、タコを食べました。大好きなんです。口がウメボシばあさんのようにシワシワになるほど酸っぱ~い酢ダコを食べるのが。酒の肴に、タコのぶつ切りをチビチビ食べるのが何ともいえません。ときどき、歯で噛んでも千切れないような皮が奥歯の隙間に挟まって、その片割れが咽の中程まで入り込み、ゲロを吐きそうになります。そんな時には、あわてずに指でタコの皮を引っ張り出します。引っ張り出したタコの皮は、しばらく見つめた後また口に放り込んでよく噛み、今度はゲロを吐かないようにうまく飲み込みます。たまには咽の中間あたりに止まって呼吸困難になる時がありますが、これもあわてず、止まったら止まったで、誰かに心臓マッサージをお願いしておけば再び蘇生するかもしれません。しかしこれも時の運ですから、ダメな場合もあります。タコかお餅か、好きなものを死ぬほど食うっていうのもいいかもしれません。
味タコも好きなんですが、やっぱりタコ食べて、酸っぱマン。冬のトイレの後のように、身震いするほどの酢を効かせた酢ダコがいいですね。
この地へ来た頃は、酢ダコはあまり見かけないようでした。お正月というと、味タコが蔓延していて、酢ダコが見つかりませんでした。ここ数年、どういうわけかスーパーで見かけるようになり、うれしい次第でありま~す。
いつだったか、わが故郷の田舎っぺ村に子どもを連れて帰った時のこと。
時は真冬で、外には雪が積もって冷え冷えとしていました。数年前に亡くなったオラの母上が、子どもに尋ねます。
「スイカ、好き?」
子どもにすれば、この寒いのに、と思ったに違いありません。でも、スイカが大好きな子どもは、うんと頷きました。
さてさて、子どもの前に出てきたのは、何と酢イカでした。
タコとは違って、この酢イカの食感はまたひと味違います。足の数の違いか? そんなことは、なかんべぇけんど、ビミョウな違いが何ともうれしいですね。
幼い頃は、この酢イカが駄菓子屋さんにも置いてあって、よく学校帰りに食べた記憶があります。ほんとに美味しい食べ物だな、と思って食べていました。
近頃のお正月は、タコなど全く揚がりませんね。タコなどははたして売られているのか、目にするのはゲイラカイトばかり。このカイトは、ヒモさえあれば誰だって揚げることが出来ます。
幼い頃、和ダコは自分で作って揚げました。竹を細く裂いて骨組みを作り、新聞紙を貼って作りました。これも肥後の守の小刀と竹さえあればカンタン。尻尾の長さ加減でうまく揚がったり揚がらなかったり。その辺の長さ加減が何とも子供心を刺戟して、夢中になりました。
もうこんな遊びは、子どもたちの興味を魅かないんでしょうね。TVゲームもあるし、塾もあるし、子どもたちの心の中に入っていくには、あまりにもシンプル過ぎるのかも知れません。
全く、近頃の正月はせからしいです。これも元旦からお店がオープンしていて、賑やかなせいもあるでしょう。TVでのバラエティ番組が、賑やか過ぎるせいもあるでしょう。三が日を静かにのんびりと過ごすなんてことは、遠い昔の出来事になってしまったのかもしれません。
そうこうしているうちに、正月もはや4日が過ぎてしまいました。もう少しで仕事も再開します。のんびりとしてはいられません。
少年〜 老いやすく〜 学〜成りがたし〜……


元旦の雪景色。温暖な天草地方は積雪10cm、大雪注意報が出たほどです。そんな中、元気に青々としているのが、ワイヤープランツ。ゼリー状の釣り鐘形をした花の中に、黒い種子が見えます。
【秋田銘酒 高清水】
姉上さまからの差し入れです。寒いお正月は、これであったまりました。
落ち着きますね。越後、東北のお酒は。
フォッサマグナを境にして、水質が違うのでしょうか。西側の酒は、口に入った途端に存在感を示します。
「わしゃ酒だけんね〜」と、舌の上を転げ回ります。それとは違って、北国の酒はそ〜っと舌先に乗っかり、咽を通る時に味わいを残していきます。奥ゆかしく、控えめに存在感を示します。南と北の人間の気質の違いのようなものを感じます。
お酒には、さまざまな顔があります。そこが、楽しいところですよ〜。
おつまみは、これ。千葉のこぎんさんからいただいた本場のピーナッツと、セガレも苦しみながら拾ったギンナン。
苦難と闘うこぎんさんの明日の幸を願って、パワーを送ります。
おしょうがつには たこあげて~……
もういっぱい寝ました。おかげでお正月が、やってきました。まっ白い、雪のお正月でした。
タコは揚げませんが、タコを食べました。大好きなんです。口がウメボシばあさんのようにシワシワになるほど酸っぱ~い酢ダコを食べるのが。酒の肴に、タコのぶつ切りをチビチビ食べるのが何ともいえません。ときどき、歯で噛んでも千切れないような皮が奥歯の隙間に挟まって、その片割れが咽の中程まで入り込み、ゲロを吐きそうになります。そんな時には、あわてずに指でタコの皮を引っ張り出します。引っ張り出したタコの皮は、しばらく見つめた後また口に放り込んでよく噛み、今度はゲロを吐かないようにうまく飲み込みます。たまには咽の中間あたりに止まって呼吸困難になる時がありますが、これもあわてず、止まったら止まったで、誰かに心臓マッサージをお願いしておけば再び蘇生するかもしれません。しかしこれも時の運ですから、ダメな場合もあります。タコかお餅か、好きなものを死ぬほど食うっていうのもいいかもしれません。
味タコも好きなんですが、やっぱりタコ食べて、酸っぱマン。冬のトイレの後のように、身震いするほどの酢を効かせた酢ダコがいいですね。
この地へ来た頃は、酢ダコはあまり見かけないようでした。お正月というと、味タコが蔓延していて、酢ダコが見つかりませんでした。ここ数年、どういうわけかスーパーで見かけるようになり、うれしい次第でありま~す。
いつだったか、わが故郷の田舎っぺ村に子どもを連れて帰った時のこと。
時は真冬で、外には雪が積もって冷え冷えとしていました。数年前に亡くなったオラの母上が、子どもに尋ねます。
「スイカ、好き?」
子どもにすれば、この寒いのに、と思ったに違いありません。でも、スイカが大好きな子どもは、うんと頷きました。
さてさて、子どもの前に出てきたのは、何と酢イカでした。
タコとは違って、この酢イカの食感はまたひと味違います。足の数の違いか? そんなことは、なかんべぇけんど、ビミョウな違いが何ともうれしいですね。
幼い頃は、この酢イカが駄菓子屋さんにも置いてあって、よく学校帰りに食べた記憶があります。ほんとに美味しい食べ物だな、と思って食べていました。
近頃のお正月は、タコなど全く揚がりませんね。タコなどははたして売られているのか、目にするのはゲイラカイトばかり。このカイトは、ヒモさえあれば誰だって揚げることが出来ます。
幼い頃、和ダコは自分で作って揚げました。竹を細く裂いて骨組みを作り、新聞紙を貼って作りました。これも肥後の守の小刀と竹さえあればカンタン。尻尾の長さ加減でうまく揚がったり揚がらなかったり。その辺の長さ加減が何とも子供心を刺戟して、夢中になりました。
もうこんな遊びは、子どもたちの興味を魅かないんでしょうね。TVゲームもあるし、塾もあるし、子どもたちの心の中に入っていくには、あまりにもシンプル過ぎるのかも知れません。
全く、近頃の正月はせからしいです。これも元旦からお店がオープンしていて、賑やかなせいもあるでしょう。TVでのバラエティ番組が、賑やか過ぎるせいもあるでしょう。三が日を静かにのんびりと過ごすなんてことは、遠い昔の出来事になってしまったのかもしれません。
そうこうしているうちに、正月もはや4日が過ぎてしまいました。もう少しで仕事も再開します。のんびりとしてはいられません。
少年〜 老いやすく〜 学〜成りがたし〜……


元旦の雪景色。温暖な天草地方は積雪10cm、大雪注意報が出たほどです。そんな中、元気に青々としているのが、ワイヤープランツ。ゼリー状の釣り鐘形をした花の中に、黒い種子が見えます。
【秋田銘酒 高清水】
姉上さまからの差し入れです。寒いお正月は、これであったまりました。落ち着きますね。越後、東北のお酒は。
フォッサマグナを境にして、水質が違うのでしょうか。西側の酒は、口に入った途端に存在感を示します。
「わしゃ酒だけんね〜」と、舌の上を転げ回ります。それとは違って、北国の酒はそ〜っと舌先に乗っかり、咽を通る時に味わいを残していきます。奥ゆかしく、控えめに存在感を示します。南と北の人間の気質の違いのようなものを感じます。
お酒には、さまざまな顔があります。そこが、楽しいところですよ〜。
おつまみは、これ。千葉のこぎんさんからいただいた本場のピーナッツと、セガレも苦しみながら拾ったギンナン。苦難と闘うこぎんさんの明日の幸を願って、パワーを送ります。
オラは喜び庭かけ回り、セガレはコタツで……。 [ささやかな風景]
寒くなってきました。やはり一年の締めくくりは、こうでなくちゃなりません。生ぬる〜い風なんぞ吹いていたら、締まりがありません。
夜空の奥の奥まで凍りつくような冷え込みがあってこそ、気持ちも引き締まります。凍みモチや凍み豆腐の心境にも、なれるというものです!?
冷えれば冷えるほど心は熱くなり、フンドシ一本で寒風の中を突っ走りたくなるほど、燃えてきます。
でも、腑甲斐のないセガレは、奥の方で何やらブツブツとひとり言を言っています。
「お父つぁん、オラこんな寒いのヤダ! これ以上小ちゃくなれねぇよ。ホッカイロが欲しかァ〜」
「意気地のねぇ野郎だな。ずべこべ言うと、立ちション便して寒風に晒してやるぞ」
「うわぁ、ヤダ。しもやけになるぅ〜」
昨日26日、当地の最高気温は3.0度でした。午後からは雪の舞い散る天気でした。
なんでこんなに寒いのよ、と言いたくなるほど冷え込みます。ちなみに昨日の主要都市の最高気温は、京都と名古屋8.7度、長野5.1度、東京10.7度、新潟5.6度、仙台6.3度、秋田3.2度、札幌−0.8度で、この土地がいかに冷え込んだかがわかるでしょう。
正直言ってこの土地は大変住みにくい気候です。何度も書いていますが、夏はえげつない暑さ、京都など比じゃありません。生きているのが不思議なくらい、寒暖の激しい気候です。もうセガレはだらしなく延び切ったり、消えてなくなるほど縮んだり、一年を通して“金冷法”を実践しているようなものです。
ま、その効果というものは、ちと疑問ですが…。
オラの生まれ育った田舎っぺ村も、かつては大変雪の多く降る土地でした。
冬になると深い雪の下に穴を掘って、春になるまで冬眠をしていました。春に地上に出た時には、兄弟が二三人増えていたりして、まるでホッキョクグマのような生活をしていたものです。ウソ!
でもね、生まれた土地への愛着がどこかにあるのでしょうか、寒いのは別としても、どこか生き返る気がしますね。この冷え込みっていうのが、オラの眠っていた野性を甦らせます。バシャバシャと海水をはねのけて、アザラシの群れに飛びかかり、ガブリと食らいついて空腹を満たしたくなります。な〜んて、これもウソ!
暮れの気候は、かくあるべし!
そうでもないと、正月の厳粛な儀式もどこか間が抜けてしまい、湯船でへをこいたようなものになってしまします。
初詣では雪の降る中を、身も心も引き締まる思いで姿勢を正し、指先も伸ばして歩を進め、社殿に向かいてパンパンと柏手。それまでのダラダラ生活も多少は引き締まり、顔からはエヘラ笑いも消えて口元がキリリと引き締まり、よき一年の始まりへとつながるのではないか。と、まるで起こりそうにもない期待を抱きつつ、心を新たにするのでありま〜す。
♪年の初めの ためしとて〜
てなわけで、今年最後の記事としては些か希薄な内容で締めくくりたいと思います。
この一年、バカバカしいブログにお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
よいお年をお迎え下さい。


昨夜の風景。激しい雪でした。右は、奥さん手編みのネックウォーマー。あったかいですね。いったん付けると、やめられません。家の中でももちろん、入浴の時でも、付けたまま…。ってなことはないですが。
【追記】
ついに来ました、ブツブツ、カイカイが。
オラはこれまでに漆にもおねーちゃんにもカブレたことがない、特殊な肌を持っているんだと高をくくっていました。
前回のアップの後に、ついに登場しました。顔の皮膚が火照って痛痒く、風呂に入った時などは、カユ〜イと天井にアタマをぶつけるほど飛び上がりました。首などには、うっすらとブツブツの模様が浮き出てきました。
いいところでやめれば良かったものを、タダだと思って毎日のようにギンナン拾いと生皮むき。顔にギンナンの汁が飛び散っても、お構いなし。オラもやっぱり人間でした。ついに負けました。
で、大あわて。評判の美顔が損なわれてはいけません。そうこうしているうちに、今度はセガレがつぶやきます。
「お父つぁん、オラもなんか火照って、あつかぁ〜。体の痒かごたる」
こりゃ、ますますイカン。
塗りました。塗って塗って、ご年配のおねえさんに負けないほど、顔に塗りました。抗生物質配合の軟膏を塗りまくって三日ほど、幸いにも敵は去っていきました。セガレの顔には、多少赤みも残っていましたがいたって元気で、またまたズズ〜ンと大きく背伸びをしました。
来年は気をつけて、ギンナンに接します。貞操帯などでセガレを覆いつつ、コトに当たろうと考えています。
夜空の奥の奥まで凍りつくような冷え込みがあってこそ、気持ちも引き締まります。凍みモチや凍み豆腐の心境にも、なれるというものです!?
冷えれば冷えるほど心は熱くなり、フンドシ一本で寒風の中を突っ走りたくなるほど、燃えてきます。
でも、腑甲斐のないセガレは、奥の方で何やらブツブツとひとり言を言っています。
「お父つぁん、オラこんな寒いのヤダ! これ以上小ちゃくなれねぇよ。ホッカイロが欲しかァ〜」
「意気地のねぇ野郎だな。ずべこべ言うと、立ちション便して寒風に晒してやるぞ」
「うわぁ、ヤダ。しもやけになるぅ〜」
昨日26日、当地の最高気温は3.0度でした。午後からは雪の舞い散る天気でした。
なんでこんなに寒いのよ、と言いたくなるほど冷え込みます。ちなみに昨日の主要都市の最高気温は、京都と名古屋8.7度、長野5.1度、東京10.7度、新潟5.6度、仙台6.3度、秋田3.2度、札幌−0.8度で、この土地がいかに冷え込んだかがわかるでしょう。
正直言ってこの土地は大変住みにくい気候です。何度も書いていますが、夏はえげつない暑さ、京都など比じゃありません。生きているのが不思議なくらい、寒暖の激しい気候です。もうセガレはだらしなく延び切ったり、消えてなくなるほど縮んだり、一年を通して“金冷法”を実践しているようなものです。
ま、その効果というものは、ちと疑問ですが…。
オラの生まれ育った田舎っぺ村も、かつては大変雪の多く降る土地でした。
冬になると深い雪の下に穴を掘って、春になるまで冬眠をしていました。春に地上に出た時には、兄弟が二三人増えていたりして、まるでホッキョクグマのような生活をしていたものです。ウソ!
でもね、生まれた土地への愛着がどこかにあるのでしょうか、寒いのは別としても、どこか生き返る気がしますね。この冷え込みっていうのが、オラの眠っていた野性を甦らせます。バシャバシャと海水をはねのけて、アザラシの群れに飛びかかり、ガブリと食らいついて空腹を満たしたくなります。な〜んて、これもウソ!
暮れの気候は、かくあるべし!
そうでもないと、正月の厳粛な儀式もどこか間が抜けてしまい、湯船でへをこいたようなものになってしまします。
初詣では雪の降る中を、身も心も引き締まる思いで姿勢を正し、指先も伸ばして歩を進め、社殿に向かいてパンパンと柏手。それまでのダラダラ生活も多少は引き締まり、顔からはエヘラ笑いも消えて口元がキリリと引き締まり、よき一年の始まりへとつながるのではないか。と、まるで起こりそうにもない期待を抱きつつ、心を新たにするのでありま〜す。
♪年の初めの ためしとて〜
てなわけで、今年最後の記事としては些か希薄な内容で締めくくりたいと思います。
この一年、バカバカしいブログにお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
よいお年をお迎え下さい。


昨夜の風景。激しい雪でした。右は、奥さん手編みのネックウォーマー。あったかいですね。いったん付けると、やめられません。家の中でももちろん、入浴の時でも、付けたまま…。ってなことはないですが。
【追記】
ついに来ました、ブツブツ、カイカイが。
オラはこれまでに漆にもおねーちゃんにもカブレたことがない、特殊な肌を持っているんだと高をくくっていました。
前回のアップの後に、ついに登場しました。顔の皮膚が火照って痛痒く、風呂に入った時などは、カユ〜イと天井にアタマをぶつけるほど飛び上がりました。首などには、うっすらとブツブツの模様が浮き出てきました。
いいところでやめれば良かったものを、タダだと思って毎日のようにギンナン拾いと生皮むき。顔にギンナンの汁が飛び散っても、お構いなし。オラもやっぱり人間でした。ついに負けました。
で、大あわて。評判の美顔が損なわれてはいけません。そうこうしているうちに、今度はセガレがつぶやきます。
「お父つぁん、オラもなんか火照って、あつかぁ〜。体の痒かごたる」
こりゃ、ますますイカン。
塗りました。塗って塗って、ご年配のおねえさんに負けないほど、顔に塗りました。抗生物質配合の軟膏を塗りまくって三日ほど、幸いにも敵は去っていきました。セガレの顔には、多少赤みも残っていましたがいたって元気で、またまたズズ〜ンと大きく背伸びをしました。
来年は気をつけて、ギンナンに接します。貞操帯などでセガレを覆いつつ、コトに当たろうと考えています。
ワガママな人間!? [ささやかな風景]
お寒くなってきました。当地でも、朝は氷点下。昼でも5度前後の日が続きました。
オラたちの仕事も、順調にいけばさらなる遺跡を発掘し、毎日土掘り土運びに明け暮れているはずでしたが、当該地に生えている巨木の移植作業が遅延していて、まだまだスコップが入れられる状態ではありません。そんな訳で、毎日の仕事はこれまでに発掘した出土品の洗浄作業に明け暮れています。
現場は、大きな川のすぐそば。寒風も容赦なく吹きつけ、仕事場としてはいただけない場所です。いくつも並べたコンテナに水を張り、そこに椅子を並べて出土品を撫でるように洗うわけです。体を動かすことはないので、さすがにこの寒さはこたえます。ゴム手袋をしてはいますが、冷たさがモロに肌にしみ、かじかんだ手でブラシを動かしています。
先週は雨も続き、雨よけのブルーシートの下で震えながら作業をしました。雨が上がると、今度は寒風が吹きまくります。さすがに耐えきれず、ごらんのようにブルーシートで側面を囲い、さらに天井からもう一枚かぶせました。近くの川の橋の下には、同じくブルーシートで作ったプロの掘っ建て小屋がいくつも点在しています。さすがに、彼らほど上手には作れませんが…。
作業は腰を下ろして手を動かすだけ。ですから、口が大変にヒマになります。当然に出てくるのは世間話、雑談、猥談、下ネタ…、そして鼻歌も出ますし“へ”も出ます。もう朝から晩まで大騒ぎ。本来ならば土の運搬作業に使われているはずのエネルギーが、口元にだけ集中しています。ダハハハ、ガハハハ、もう止むことなく、エンドレステープを流しているようです。
「ブルーシートの下で、何をやってんだべ?」
道行く人から見れば、奇異な感じに映るでしょうね。どう見ても、ホームレスさんの内職にしか見えません。
それにしてもうるさすぎます。半分しか機能しないオラの耳でも、うるさ過ぎます。
「近頃のホームレスは、やけに明るいナ。日中からどんちゃん騒ぎかい。忘年会か?」
通行人には、どう映っているでしょうね。十二ひとえに迫る重ね着で、まるで冬に備えて脂肪を蓄えたタヌキ同然の着ぶくれ姿。長靴、手袋、防寒帽と、見て呉れなど構ってはいられません。
あったかければ、全てよし〜!
この土器洗い、いったいいつまで続くのやら。もう腰が痛くて、夜中にも目が覚めるほどです。
暑ければ暑いで、寒ければ寒いで愚痴が出ます。人間って、ワガママですな〜!
【顔の皮膚が、ヘン!?】
昨年の今頃は、干し柿作りにはまっていました。どれほど作ったか、もう記憶にないほどです。
でも今年は一度も作ってはいません。というよりも、作れないっていうところかな。
渋柿が、あまりにも高価です。去年の3倍はします。裏年だったのか、柿が高過ぎます。太秋柿が先月頃まではかなり出回っていたのですが、いまじゃ目にしません。あったと思ったら、8個入り5,000円ときた。これじゃ、庶民の食い物じゃねぇ〜!
富有柿は、1個100円っていうところ。どうして庶民の食べ物が、こんなに高くなるんじゃい。
というわけで、今年は柿はあきらめて、ギンナン拾いに夢中です。今月に入って、ギンナン拾いと皮むきにどれだけ時間を割いたか。始めたら、そればっかし。もう、
ド~ニモ トマラナイ~
パンタロンをはいて踊り出したいくらいです。
それに、ギンナンは神社の境内で拾ってきますので、タダ!
いえ、お賽銭箱に100円玉を入れましたよ。それに、二礼二拍手もいたしました。いただきま〜す、とも言いました。
土の上で踏みつけられ、だ〜れにも食べられないで腐り果てる。これじゃギンナンも成仏出来ないでしょう。そこでオラが登場し、こんがりと焼いて酒の肴として食べてあげるんです。
つまり、ギンナンの命をいったんお預かりして、また土に帰してあげる。これこそ、食の循環というものでしょうナ。
ま、帰してあげるといっても原状回復とまではいきませんが、その3倍位の香りをお付けして、お返し出来るとは思いますが…。
とは言ったものの、ここ数日、顔の皮膚がヘンなんです。神様のお怒りがついにやってきた、か?
ゴム手袋をして、直接ギンナンには触れないようにしていたのですが、洗い水が飛びはねてそれをゴム手袋で拭いたりしていましたから、もしかしたらかぶれ始めたのかもしれません。痛がゆ〜い一歩手前で、やがて顔一面にブツブツが出そうな気配もします。でも鏡に映して見るのですが、発疹はまだ出ていません。きれいなテカテカお肌。
ま、そのうちに治るだろうと思っていた今日、今度はコカンのあたりがムズムズします。いえ、決してヨカラヌ事を想像したからではありません。皮をむいた手袋で、セガレをつまみ出した覚えもありませんし、セガレが勝手に外出したこともないだろうし、どういうこっちゃ。
これもフロ上がりにじ〜っと観察してみましたが、異常なしのツルツルお肌。いえ、シワシワお肌。
セガレに万が一のことがあったなら、きっと悲鳴をあげることでしょう。
今のところは湯上がりの心地よさで、スヤスヤと眠っております。カワイイ寝顔で……。
オラたちの仕事も、順調にいけばさらなる遺跡を発掘し、毎日土掘り土運びに明け暮れているはずでしたが、当該地に生えている巨木の移植作業が遅延していて、まだまだスコップが入れられる状態ではありません。そんな訳で、毎日の仕事はこれまでに発掘した出土品の洗浄作業に明け暮れています。
現場は、大きな川のすぐそば。寒風も容赦なく吹きつけ、仕事場としてはいただけない場所です。いくつも並べたコンテナに水を張り、そこに椅子を並べて出土品を撫でるように洗うわけです。体を動かすことはないので、さすがにこの寒さはこたえます。ゴム手袋をしてはいますが、冷たさがモロに肌にしみ、かじかんだ手でブラシを動かしています。
先週は雨も続き、雨よけのブルーシートの下で震えながら作業をしました。雨が上がると、今度は寒風が吹きまくります。さすがに耐えきれず、ごらんのようにブルーシートで側面を囲い、さらに天井からもう一枚かぶせました。近くの川の橋の下には、同じくブルーシートで作ったプロの掘っ建て小屋がいくつも点在しています。さすがに、彼らほど上手には作れませんが…。 作業は腰を下ろして手を動かすだけ。ですから、口が大変にヒマになります。当然に出てくるのは世間話、雑談、猥談、下ネタ…、そして鼻歌も出ますし“へ”も出ます。もう朝から晩まで大騒ぎ。本来ならば土の運搬作業に使われているはずのエネルギーが、口元にだけ集中しています。ダハハハ、ガハハハ、もう止むことなく、エンドレステープを流しているようです。
「ブルーシートの下で、何をやってんだべ?」
道行く人から見れば、奇異な感じに映るでしょうね。どう見ても、ホームレスさんの内職にしか見えません。
それにしてもうるさすぎます。半分しか機能しないオラの耳でも、うるさ過ぎます。
「近頃のホームレスは、やけに明るいナ。日中からどんちゃん騒ぎかい。忘年会か?」
通行人には、どう映っているでしょうね。十二ひとえに迫る重ね着で、まるで冬に備えて脂肪を蓄えたタヌキ同然の着ぶくれ姿。長靴、手袋、防寒帽と、見て呉れなど構ってはいられません。
あったかければ、全てよし〜!
この土器洗い、いったいいつまで続くのやら。もう腰が痛くて、夜中にも目が覚めるほどです。
暑ければ暑いで、寒ければ寒いで愚痴が出ます。人間って、ワガママですな〜!
【顔の皮膚が、ヘン!?】
昨年の今頃は、干し柿作りにはまっていました。どれほど作ったか、もう記憶にないほどです。
でも今年は一度も作ってはいません。というよりも、作れないっていうところかな。
渋柿が、あまりにも高価です。去年の3倍はします。裏年だったのか、柿が高過ぎます。太秋柿が先月頃まではかなり出回っていたのですが、いまじゃ目にしません。あったと思ったら、8個入り5,000円ときた。これじゃ、庶民の食い物じゃねぇ〜!
富有柿は、1個100円っていうところ。どうして庶民の食べ物が、こんなに高くなるんじゃい。
というわけで、今年は柿はあきらめて、ギンナン拾いに夢中です。今月に入って、ギンナン拾いと皮むきにどれだけ時間を割いたか。始めたら、そればっかし。もう、
ド~ニモ トマラナイ~
パンタロンをはいて踊り出したいくらいです。
それに、ギンナンは神社の境内で拾ってきますので、タダ!
いえ、お賽銭箱に100円玉を入れましたよ。それに、二礼二拍手もいたしました。いただきま〜す、とも言いました。
土の上で踏みつけられ、だ〜れにも食べられないで腐り果てる。これじゃギンナンも成仏出来ないでしょう。そこでオラが登場し、こんがりと焼いて酒の肴として食べてあげるんです。
つまり、ギンナンの命をいったんお預かりして、また土に帰してあげる。これこそ、食の循環というものでしょうナ。
ま、帰してあげるといっても原状回復とまではいきませんが、その3倍位の香りをお付けして、お返し出来るとは思いますが…。
とは言ったものの、ここ数日、顔の皮膚がヘンなんです。神様のお怒りがついにやってきた、か?
ゴム手袋をして、直接ギンナンには触れないようにしていたのですが、洗い水が飛びはねてそれをゴム手袋で拭いたりしていましたから、もしかしたらかぶれ始めたのかもしれません。痛がゆ〜い一歩手前で、やがて顔一面にブツブツが出そうな気配もします。でも鏡に映して見るのですが、発疹はまだ出ていません。きれいなテカテカお肌。
ま、そのうちに治るだろうと思っていた今日、今度はコカンのあたりがムズムズします。いえ、決してヨカラヌ事を想像したからではありません。皮をむいた手袋で、セガレをつまみ出した覚えもありませんし、セガレが勝手に外出したこともないだろうし、どういうこっちゃ。
これもフロ上がりにじ〜っと観察してみましたが、異常なしのツルツルお肌。いえ、シワシワお肌。
セガレに万が一のことがあったなら、きっと悲鳴をあげることでしょう。
今のところは湯上がりの心地よさで、スヤスヤと眠っております。カワイイ寝顔で……。
臭い話題で…!! [熊本あれこれ]
冬場のチャリは寒さが身に染みます。現在は仕事もひと休み状態なので、朝の通勤時の寒さからは解放されています。
でも、毎日土運びをして体を鍛えて?いたのに、休みに入ってダレきっていますから、急にメタボ症候群になり、腹の肉が垂れ下がって自分の足で踏んづけてひっくり返ります。な~んて、ウソですが……。
体重は変わらないものですね。夏の猛暑の時も今も、ほとんど同じ、62kgを保っています。
でも、休み中に体が訛ってしまっては、いざ仕事が始まった時に体が付いて行けないんじゃないかと、毎日あてもなくチャリを乗り回しています。それも出来るだけ坂道を、体に負担のかかる速度で、鍛えようとは思っているのですが、やっぱりダラダラと走らせています。ただ足腰だけは出来るだけ鍛えようと、お腹に思いっきり力を入れて坂道などを速度を上げて走るようにしています。
そんな時ですね。やっぱり、出るんですよ。怖れていた、あやしいものが…。
何と言うか、風が、ですね。そ~っと、おしとやかに、恥じ入るように、サドルの隙間のあたりから。
地方によっては、へ、とも呼ばれています。奈良地方では、さすがにていねいな接頭語「お」が付けられます。
夏場の重労働で、水分を5リットル以上もがぶ飲みしました。熱いお茶を飲むようにそ~っとではなく、ガブガブと一気に。その時には、感覚的にも、同時に空気をもがぶ飲みしていることが分かります。
これも原理的に分かりますが、飲み込んだ空気は胃で消化されるわけではありません。どこかから逃げ出さなくてはなりません。ここが問題なんです。
作業は、下腹部に力が入ることばかりで、やっぱり伴うのですね。何と言っていいか、つまり力の入った、風が。
スコップで土をひとすくいするたびに、ブッ。一輪車に土を満載して歩くたんびに、ブッと勢いよく。プ〜っと蚊の鳴くような、か細い音ではありません。
もう、発掘現場は霧がかかったように充満しています。あちこちで、音の高低や臭いの差はありますが、大合唱です。誰のものやら、出てしまったからには分かりません。それでいて、皆さん何もなかったように、それこそ、へ〜きで作業を続けています。もう慣れ切っているのでしょうか。
赤い服を着た人は、赤い服を着た人の群れの中に入ってしまえば、もう見つからないっつ~諺があるように(そんな諺はありません)、オラもそんな群れの中で、恥じ入るように、やっぱり、し、ま、す。ほんの少〜しだけ。
やはり初犯は、おそるおそる、罪の意識を感じながら……。
でも、再犯は罪の意識もどこへやら。
経験上知り得た知識。
水分のがぶ飲みはいけません。後になって、いえビールを飲んでお呼びがかかるあの時間よりももっと早く、お出ましになるんです。
メシの早食いも、いけません。空気も一緒に丸飲みすることになります。出来るだけ噛んで、空気の塊がなくなるまで噛み続けてそっと飲み干します。このことが大気を汚さない、京都議定書にも反しないクリーンな地球を守る第一歩なのです。
ちょっと、いや、だいぶ話がお下品になりました。
臭い話をする予定ではありましたが、話題が逸れてしまいました。本当は違う話を書こうと思ったのです。
実は、チャリで走っている時に、見つけました。サドルの隙間から風を放出しても、バレない場所が。
その近くを通った時に、強烈な臭いが伝わってきました。
ギンナンが、たっぷり落ちている場所を見つけました。
あまりの量に驚きました。公共の場だから拾ってはいけないのかと思い、様子を窺っていましたが、ある時に婦人方が拾われているので、さっそくオラも袋を持参してかき集めました。もう、みんなで渡れば恐くない心境です。
もう何日通ったでしょうか。バケツに10杯は拾ったでしょう。
その後の生皮剥きが、大変な仕事でしたが…。
落ちている、などという表現では足りません。落ちたギンナンが10cmくらいの層になって重なっているんです。
ギンナンは、この4倍ほども拾ったでしょうか…。計量したら、10kg以上もありました。
食いきれねぇ〜!


加藤清正が築城した熊本城は、別名銀杏城とも呼ばれています。籠城の際の食料確保のために植えたと言われていますが、西南の役で焼失してしまいました。
当地では、街路樹にイチョウの木を使っている所が数多くあります。今では落葉した黄色い葉が、歩道を埋め尽くしています。見た目にはきれいで、初冬の趣がありますが、市電の軌道内に降った葉が車輪を滑らせるということで、悪役にもなってしまいました。
生皮を剥いできれいに洗い乾燥させたギンナンを、さっそく食しました。ほんとうに美味い。美味すぎます。ひとつぶ噛んで、キュッと一杯。なんとも形容しがたい食感。新鮮な分だけ、歯ごたえがすばらしい。
あちこちの知り合いにも、配りました。
そして今日、イチョウの舞い散る歩道を、ギンナンをチャリに積んで、娘の勤める職場まで出かけました。
仕事が忙しいので、昼休みの数分間だけ会うことにしました。外来でにぎわう構内でしたが、そこにもイチョウの木が植栽されていて、色づいた葉が鮮やかな黄色のじゅうたんを作っていました。
8ヵ月ぶりの娘の顔は、まぶしく見えました。ギンナンと近くで売っている美味しいパンを渡して、間もなく別れました。
帰りの道すがら、ギコギコと自転車を漕ぎ続けては笑顔で手を振る娘の顔を思い出し、「不肖のお父つぁんを許してけろ」なんて心の中でつぶやきながら、しくしくと泣きました。
でも、毎日土運びをして体を鍛えて?いたのに、休みに入ってダレきっていますから、急にメタボ症候群になり、腹の肉が垂れ下がって自分の足で踏んづけてひっくり返ります。な~んて、ウソですが……。
体重は変わらないものですね。夏の猛暑の時も今も、ほとんど同じ、62kgを保っています。
でも、休み中に体が訛ってしまっては、いざ仕事が始まった時に体が付いて行けないんじゃないかと、毎日あてもなくチャリを乗り回しています。それも出来るだけ坂道を、体に負担のかかる速度で、鍛えようとは思っているのですが、やっぱりダラダラと走らせています。ただ足腰だけは出来るだけ鍛えようと、お腹に思いっきり力を入れて坂道などを速度を上げて走るようにしています。
そんな時ですね。やっぱり、出るんですよ。怖れていた、あやしいものが…。
何と言うか、風が、ですね。そ~っと、おしとやかに、恥じ入るように、サドルの隙間のあたりから。
地方によっては、へ、とも呼ばれています。奈良地方では、さすがにていねいな接頭語「お」が付けられます。
夏場の重労働で、水分を5リットル以上もがぶ飲みしました。熱いお茶を飲むようにそ~っとではなく、ガブガブと一気に。その時には、感覚的にも、同時に空気をもがぶ飲みしていることが分かります。
これも原理的に分かりますが、飲み込んだ空気は胃で消化されるわけではありません。どこかから逃げ出さなくてはなりません。ここが問題なんです。
作業は、下腹部に力が入ることばかりで、やっぱり伴うのですね。何と言っていいか、つまり力の入った、風が。
スコップで土をひとすくいするたびに、ブッ。一輪車に土を満載して歩くたんびに、ブッと勢いよく。プ〜っと蚊の鳴くような、か細い音ではありません。
もう、発掘現場は霧がかかったように充満しています。あちこちで、音の高低や臭いの差はありますが、大合唱です。誰のものやら、出てしまったからには分かりません。それでいて、皆さん何もなかったように、それこそ、へ〜きで作業を続けています。もう慣れ切っているのでしょうか。
赤い服を着た人は、赤い服を着た人の群れの中に入ってしまえば、もう見つからないっつ~諺があるように(そんな諺はありません)、オラもそんな群れの中で、恥じ入るように、やっぱり、し、ま、す。ほんの少〜しだけ。
やはり初犯は、おそるおそる、罪の意識を感じながら……。
でも、再犯は罪の意識もどこへやら。
経験上知り得た知識。
水分のがぶ飲みはいけません。後になって、いえビールを飲んでお呼びがかかるあの時間よりももっと早く、お出ましになるんです。
メシの早食いも、いけません。空気も一緒に丸飲みすることになります。出来るだけ噛んで、空気の塊がなくなるまで噛み続けてそっと飲み干します。このことが大気を汚さない、京都議定書にも反しないクリーンな地球を守る第一歩なのです。
ちょっと、いや、だいぶ話がお下品になりました。
臭い話をする予定ではありましたが、話題が逸れてしまいました。本当は違う話を書こうと思ったのです。
実は、チャリで走っている時に、見つけました。サドルの隙間から風を放出しても、バレない場所が。
その近くを通った時に、強烈な臭いが伝わってきました。
ギンナンが、たっぷり落ちている場所を見つけました。
あまりの量に驚きました。公共の場だから拾ってはいけないのかと思い、様子を窺っていましたが、ある時に婦人方が拾われているので、さっそくオラも袋を持参してかき集めました。もう、みんなで渡れば恐くない心境です。
もう何日通ったでしょうか。バケツに10杯は拾ったでしょう。
その後の生皮剥きが、大変な仕事でしたが…。
落ちている、などという表現では足りません。落ちたギンナンが10cmくらいの層になって重なっているんです。
ギンナンは、この4倍ほども拾ったでしょうか…。計量したら、10kg以上もありました。
食いきれねぇ〜!


加藤清正が築城した熊本城は、別名銀杏城とも呼ばれています。籠城の際の食料確保のために植えたと言われていますが、西南の役で焼失してしまいました。
当地では、街路樹にイチョウの木を使っている所が数多くあります。今では落葉した黄色い葉が、歩道を埋め尽くしています。見た目にはきれいで、初冬の趣がありますが、市電の軌道内に降った葉が車輪を滑らせるということで、悪役にもなってしまいました。
生皮を剥いできれいに洗い乾燥させたギンナンを、さっそく食しました。ほんとうに美味い。美味すぎます。ひとつぶ噛んで、キュッと一杯。なんとも形容しがたい食感。新鮮な分だけ、歯ごたえがすばらしい。
あちこちの知り合いにも、配りました。
そして今日、イチョウの舞い散る歩道を、ギンナンをチャリに積んで、娘の勤める職場まで出かけました。
仕事が忙しいので、昼休みの数分間だけ会うことにしました。外来でにぎわう構内でしたが、そこにもイチョウの木が植栽されていて、色づいた葉が鮮やかな黄色のじゅうたんを作っていました。
8ヵ月ぶりの娘の顔は、まぶしく見えました。ギンナンと近くで売っている美味しいパンを渡して、間もなく別れました。
帰りの道すがら、ギコギコと自転車を漕ぎ続けては笑顔で手を振る娘の顔を思い出し、「不肖のお父つぁんを許してけろ」なんて心の中でつぶやきながら、しくしくと泣きました。
学校給食を体験! [熊本あれこれ]
食事どきのお宅訪問は、歓迎されるものではありません。せっかく家族が一堂に会して一日の出来事などを語り合い、和やかな時間を満喫している時に、ぶちこわしになります。そんな時に訪問する者は、マナーを知らない田舎っぺなんて思われるかもしれません。
かつての田舎っぺ村では、食事どきに訪ねたとしても「メシでも食っていかんしょ」なんて食事に誘われることがあります。自分の家でメシを済ませたにもかかわらずそんな誘いがあるものだから、ありがたく頂戴することになります。その後に別のお宅を訪問して食事中だったならば、また頂戴することになります。数件のお宅を訪問してまたまた食事どきだったならば、自宅へ戻った頃には、前頭筆頭くらいの体格になっています。その後にチョンマゲ、マワシを付けたならば、両国界隈を歩いても様になりますネ。
家の前をベコが通っても、声を掛けるんですよ。
「メシでも食っていかんしょ」
なんてね。
昼どきに郵便配達夫さんが来られた時に、よく一緒に食事をしている光景を目にしました。どっかの田んぼの畦で食事をするなんて、淋しいものでしょうからね。「食っていかんしょ」と声を掛けるんでしょう。
今の郵便配達夫さんは、どこで食事をするのでしょうか。公園のベンチで、コンビニ弁当かなにかを拡げて? それとも、しんみりと天を仰いで世を憂いて……、そんなことはないでしょうけど、あったかいレストランとか食堂とかで楽しい昼どきが待っているのでしょうね。その辺は分かりませんが、タクシーの運ちゃんのように、極秘穴場を知っているのかもしれません。
さてさてこのオラも本当に久しぶりに、田舎っぺ村のようなあったかい誘いを受けました。
奥さんが講師をしているくまもと工芸会館の体験教室に、阿蘇郡西原村立河原小学校の4年生の生徒さんがやって来ました。その時の作品が焼き上がったので、届けることになったのです。オラは、役立たずのナビゲーターとして助手席に乗り込みました。
時はちょうど昼食どきで、届けたあとに紅葉でも見ながら弁当を食べようと、途中のスーパーでしこたま買い込んでいきました。
思ったよりも遠くて、道を聞き聞き、何とか辿り着きました。山あいの静かな村、130年以上の歴史がある小学校でした。
オラはスーパーでチンしてきた弁当が冷めてしまうのが気になって、作品を届けに校舎の中へ入って行った奥さんが早く戻ってこないかとそればかり願っていました。
奥さんはなかなか戻ってきませんでしたが、幾分かの時間が経過したあと、若い女の先生がやってきて「給食を一緒に食べていきませんか?」と言うんです。ちょっと不意をつかれた感じで驚きましたが、喜んで頂くことになったのです。
広い部屋で、全校生徒と一緒に、といっても70名ほどしかいませんが、頂きました。生徒さんたちの屈託のない笑顔とおしゃべりの中で、楽しい昼食を頂きました。
初体験でした。得体の知れないオッサンがいきなり来て一緒に食事をする、なんとも照れくさくもあったのですが、じつに有意義な体験をしました。
4年生は全部で13名。気を利かせて、オラたち二人のために席を空け、椅子をさっと用意してくれます。すなおな笑顔ばかりでした。
担任は、梅本先生というかた。本当に楽しい経験をさせていただきました。ありがとうございます。
実は、オラたちが田舎っぺ村の小学校へ通っていた頃は、こんな給食はなかったのです。弟や妹を背におぶって学校へ来る生徒もおりました。そんな時代でしたから、弁当も持ってこれない子も何人かいたのです。
心ある先生は、自分の弁当を分けて生徒に食べさせます。また心ない先生は、「なんで弁当を持ってこない」と叱りつけました。弁当を持ってこないのではありません。持ってこれないのです。みんな困っていました。先生も同じ人間ですが、かなり格差がありました。
そんなことを思い出しながら、おいしい給食を頂いたのです。本当においしゅうございました。量もたっぷりでした。
こんなに豊かな食生活を送れる子どもたちは、やはり幸せなんでしょうね。それぞれの時代、抱える悩み事は違っても、子どもたちには大きな未来が待っています。オラの行く末とは違って、楽しみですね〜。
山の空気も清々しく感じられましたが、爽やかな体験が心地よく、胸の奥まで清涼剤を飲んだように広がりました。


場違いのオッサンがおじゃまして、申し訳ありませんでしたネ〜。
これも初体験。横取りされまいと必死でメシを食らうオラの後ろ姿を載せてみました。カールおじさんには似ていませんよ〜。
河原小学校4年生のみなさん、梅本先生の健康的な笑顔が印象的でした。
かつての田舎っぺ村では、食事どきに訪ねたとしても「メシでも食っていかんしょ」なんて食事に誘われることがあります。自分の家でメシを済ませたにもかかわらずそんな誘いがあるものだから、ありがたく頂戴することになります。その後に別のお宅を訪問して食事中だったならば、また頂戴することになります。数件のお宅を訪問してまたまた食事どきだったならば、自宅へ戻った頃には、前頭筆頭くらいの体格になっています。その後にチョンマゲ、マワシを付けたならば、両国界隈を歩いても様になりますネ。
家の前をベコが通っても、声を掛けるんですよ。
「メシでも食っていかんしょ」
なんてね。
昼どきに郵便配達夫さんが来られた時に、よく一緒に食事をしている光景を目にしました。どっかの田んぼの畦で食事をするなんて、淋しいものでしょうからね。「食っていかんしょ」と声を掛けるんでしょう。
今の郵便配達夫さんは、どこで食事をするのでしょうか。公園のベンチで、コンビニ弁当かなにかを拡げて? それとも、しんみりと天を仰いで世を憂いて……、そんなことはないでしょうけど、あったかいレストランとか食堂とかで楽しい昼どきが待っているのでしょうね。その辺は分かりませんが、タクシーの運ちゃんのように、極秘穴場を知っているのかもしれません。
さてさてこのオラも本当に久しぶりに、田舎っぺ村のようなあったかい誘いを受けました。
奥さんが講師をしているくまもと工芸会館の体験教室に、阿蘇郡西原村立河原小学校の4年生の生徒さんがやって来ました。その時の作品が焼き上がったので、届けることになったのです。オラは、役立たずのナビゲーターとして助手席に乗り込みました。
時はちょうど昼食どきで、届けたあとに紅葉でも見ながら弁当を食べようと、途中のスーパーでしこたま買い込んでいきました。
思ったよりも遠くて、道を聞き聞き、何とか辿り着きました。山あいの静かな村、130年以上の歴史がある小学校でした。
オラはスーパーでチンしてきた弁当が冷めてしまうのが気になって、作品を届けに校舎の中へ入って行った奥さんが早く戻ってこないかとそればかり願っていました。
奥さんはなかなか戻ってきませんでしたが、幾分かの時間が経過したあと、若い女の先生がやってきて「給食を一緒に食べていきませんか?」と言うんです。ちょっと不意をつかれた感じで驚きましたが、喜んで頂くことになったのです。
広い部屋で、全校生徒と一緒に、といっても70名ほどしかいませんが、頂きました。生徒さんたちの屈託のない笑顔とおしゃべりの中で、楽しい昼食を頂きました。
初体験でした。得体の知れないオッサンがいきなり来て一緒に食事をする、なんとも照れくさくもあったのですが、じつに有意義な体験をしました。
4年生は全部で13名。気を利かせて、オラたち二人のために席を空け、椅子をさっと用意してくれます。すなおな笑顔ばかりでした。
担任は、梅本先生というかた。本当に楽しい経験をさせていただきました。ありがとうございます。
実は、オラたちが田舎っぺ村の小学校へ通っていた頃は、こんな給食はなかったのです。弟や妹を背におぶって学校へ来る生徒もおりました。そんな時代でしたから、弁当も持ってこれない子も何人かいたのです。
心ある先生は、自分の弁当を分けて生徒に食べさせます。また心ない先生は、「なんで弁当を持ってこない」と叱りつけました。弁当を持ってこないのではありません。持ってこれないのです。みんな困っていました。先生も同じ人間ですが、かなり格差がありました。
そんなことを思い出しながら、おいしい給食を頂いたのです。本当においしゅうございました。量もたっぷりでした。
こんなに豊かな食生活を送れる子どもたちは、やはり幸せなんでしょうね。それぞれの時代、抱える悩み事は違っても、子どもたちには大きな未来が待っています。オラの行く末とは違って、楽しみですね〜。
山の空気も清々しく感じられましたが、爽やかな体験が心地よく、胸の奥まで清涼剤を飲んだように広がりました。


場違いのオッサンがおじゃまして、申し訳ありませんでしたネ〜。
これも初体験。横取りされまいと必死でメシを食らうオラの後ろ姿を載せてみました。カールおじさんには似ていませんよ〜。
河原小学校4年生のみなさん、梅本先生の健康的な笑顔が印象的でした。
オラ、いまだグレてません!(81) [頭の痛〜い話]
勤務調整のために休みをとらなくちゃなりません。
もちろん給料は入りませんが、ちょっとまとまった休みなので、オーバーホールのためにはありがたい休暇です。
夏バテのけだるさを感じている暇もなく重労働の連続でしたので、かなり体も痛んでいました。朝起きると手の指の筋肉までも痛くて、しばらくは指が伸ばせない状態でした。もちろん全身が、足から肩、首まで疼いているしまつ。一晩の睡眠くらいでは疲れが取れませんでした。
疲れがたまってくると、よく睡眠中に足が攣(つ)り、痛い思いをしました。筋肉が攣る場所は、ふくらはぎばかりではなく、モモ、腕、手指、足指、首、言ってみれば全身です。疲れがピークになると、必ず出ます。攣ったところは、泣きたいほどに痛いですね〜。
さらに毎日が土仕事なので手肌が荒れ、指先がヒビ割れてしまいました。指に出来たマメも硬化して、大きなヒビ割れ状態。まったく土に生きる人間にはふさわしい節くれた手になってしまいましたが、これも勲章なのですかねぇ。
気持ちの方が参らなかった分、体の方に負担がかかったような気もします。でもね、人間働かなくちゃ食ってはいけないから、当然の理です。
そんなわけで、忙しい時にはこのブログもアップ出来ませんでした。でも、嬉しいことにこんなブログでも熱心に読んで下さっている方が、コメントを下さります。思いつき、いい加減に書き連ねていますが、申し訳ないほどです。
同じ病状で悩んでおられる方からコメントを頂きました。記事のアップがない時には、オラの体調を心配して下さったようです。ありがたいですね。
このオラだって、このブログを立ち上げる前には、難聴失聴、脳腫瘍で苦しむ方のブログをよく訪問していました。その方の病状を心配したり、また同病の自分が癒されたりして、大変勇気づけられたこともあります。でも、二度三度と手術をくり返す方のブログは大変に重く、本人はもちろんでしょうけど、読む側も大変考えさせられることが多くありました。やがてその方のブログ記事もアップされることが少なくなり、ついにはブログの在処さえも分からなくなりました。つらい結果が待ち受けていたか、またはブログなどを書いている余裕すらもなくなっただろうことが容易に想像されました。
そんな方のブログを読むたびに、自分はどれほど恵まれていたか痛感させられます。
たしかに聞こえないことで困難はいっぱいあります。両耳に渦巻く騒音が間断なく責め続けます。体調が悪かったり、生活の困難さに苦しめられている時などには、かんしゃくを起こしそうになります。
でもね、かんしゃくを起こしたって、グレてみたって、結局そのつけや痛みは自分に返ってきますし、何の解決にもならないから、せいぜいブログでバカを書き連ねることで自分を押さえつけています。
ですからね、同じ悩みをお持ちの方には、大して為になるようなものではないでしょうね。ま、こんなアホにはなりたくはないという戒め程度にはなるかもしれませんが……。
というわけで、休みが少し手に入ったことで、今まで以上にアップを重ねてまいりたいと思います。
出来るだけ為になるような記事を、と言ってもオラの都合のいいことばかりで、あっちが痛ェの、こっちが疼くのという自分のグチばかりですね。
近々、定期的なMRI造影検査があります。もう大丈夫だと思ってはいますが、やはり心の隅っこでは弱い自分がチラチラ顔を見せて、また手術なんてことになったらどうしよう、そんなことも考えることがあります。
そうなったらもう、グレるしか手はありません。それとも、奥さんの肉付きのいいモモに顔を埋めてシクシクと泣きましょうか。


やっぱり心配されている方がおられますね。
例のごとくいい気候になりました。米ジュースは見事に出来上がっていますが、途中の味見が多すぎて、カメの底にはわずかな量しか残っていません。
アルコールの見張りは、Peeちゃんに任せています。


路地には、晩白柚(ばんぺいゆ)も大きくなって色づいてきました。まだまだ食べごろではありません。1月になってからでしょう。大きいものでは30cmを超えるものもあって、見事です。
大豆畑は収穫を待つばかり。初冬の風景です。
もちろん給料は入りませんが、ちょっとまとまった休みなので、オーバーホールのためにはありがたい休暇です。
夏バテのけだるさを感じている暇もなく重労働の連続でしたので、かなり体も痛んでいました。朝起きると手の指の筋肉までも痛くて、しばらくは指が伸ばせない状態でした。もちろん全身が、足から肩、首まで疼いているしまつ。一晩の睡眠くらいでは疲れが取れませんでした。
疲れがたまってくると、よく睡眠中に足が攣(つ)り、痛い思いをしました。筋肉が攣る場所は、ふくらはぎばかりではなく、モモ、腕、手指、足指、首、言ってみれば全身です。疲れがピークになると、必ず出ます。攣ったところは、泣きたいほどに痛いですね〜。
さらに毎日が土仕事なので手肌が荒れ、指先がヒビ割れてしまいました。指に出来たマメも硬化して、大きなヒビ割れ状態。まったく土に生きる人間にはふさわしい節くれた手になってしまいましたが、これも勲章なのですかねぇ。
気持ちの方が参らなかった分、体の方に負担がかかったような気もします。でもね、人間働かなくちゃ食ってはいけないから、当然の理です。
そんなわけで、忙しい時にはこのブログもアップ出来ませんでした。でも、嬉しいことにこんなブログでも熱心に読んで下さっている方が、コメントを下さります。思いつき、いい加減に書き連ねていますが、申し訳ないほどです。
同じ病状で悩んでおられる方からコメントを頂きました。記事のアップがない時には、オラの体調を心配して下さったようです。ありがたいですね。
このオラだって、このブログを立ち上げる前には、難聴失聴、脳腫瘍で苦しむ方のブログをよく訪問していました。その方の病状を心配したり、また同病の自分が癒されたりして、大変勇気づけられたこともあります。でも、二度三度と手術をくり返す方のブログは大変に重く、本人はもちろんでしょうけど、読む側も大変考えさせられることが多くありました。やがてその方のブログ記事もアップされることが少なくなり、ついにはブログの在処さえも分からなくなりました。つらい結果が待ち受けていたか、またはブログなどを書いている余裕すらもなくなっただろうことが容易に想像されました。
そんな方のブログを読むたびに、自分はどれほど恵まれていたか痛感させられます。
たしかに聞こえないことで困難はいっぱいあります。両耳に渦巻く騒音が間断なく責め続けます。体調が悪かったり、生活の困難さに苦しめられている時などには、かんしゃくを起こしそうになります。
でもね、かんしゃくを起こしたって、グレてみたって、結局そのつけや痛みは自分に返ってきますし、何の解決にもならないから、せいぜいブログでバカを書き連ねることで自分を押さえつけています。
ですからね、同じ悩みをお持ちの方には、大して為になるようなものではないでしょうね。ま、こんなアホにはなりたくはないという戒め程度にはなるかもしれませんが……。
というわけで、休みが少し手に入ったことで、今まで以上にアップを重ねてまいりたいと思います。
出来るだけ為になるような記事を、と言ってもオラの都合のいいことばかりで、あっちが痛ェの、こっちが疼くのという自分のグチばかりですね。
近々、定期的なMRI造影検査があります。もう大丈夫だと思ってはいますが、やはり心の隅っこでは弱い自分がチラチラ顔を見せて、また手術なんてことになったらどうしよう、そんなことも考えることがあります。
そうなったらもう、グレるしか手はありません。それとも、奥さんの肉付きのいいモモに顔を埋めてシクシクと泣きましょうか。


やっぱり心配されている方がおられますね。
例のごとくいい気候になりました。米ジュースは見事に出来上がっていますが、途中の味見が多すぎて、カメの底にはわずかな量しか残っていません。
アルコールの見張りは、Peeちゃんに任せています。


路地には、晩白柚(ばんぺいゆ)も大きくなって色づいてきました。まだまだ食べごろではありません。1月になってからでしょう。大きいものでは30cmを超えるものもあって、見事です。
大豆畑は収穫を待つばかり。初冬の風景です。
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